2011年10月17日

被災地を撮ることの意味〜ボランティアと写真撮影(2)

前回の続き)

理屈っぽい話にもう少々お付き合いを...


そして2つ目の問い。被災地の姿を伝えるためなら撮影は認められるか?


被災地の現状を家族や友人に伝えるために撮影したい、と考えるボランティアは私も含めて多くいた。また、被災した方の中にも、伝えるために撮影してもいいと思った方もいたかもしれない。

では、多くの被災した方が望まなくても、一部の方が望み、あるいは被災地を姿を伝えることが後々、復興にプラスとなると思われるなら、先に書いたボランティアの一番の目的を逸脱して、撮影することを認めるべきだろうか?


これはあくまでの私個人の考えだが、「NO」だと思う。写真の「真を写す」、伝えることの本質の問題だ。


被災地に初めて入ったほとんどすべてのボランティアが言うことは、「思っていたのと全然違う」とか「テレビや新聞で見たのと違う」だ。つまり、マスメディアの映像や画像は被災地の姿をありのままには伝えていない。

その理由の一つは、写真そのものの性質。あくまでも写真は平面の絵にすぎない。被災地のヘドロの匂い、行方不明者を探すヘリの音、ボランティアから警察官、道路作業員まですべての人に共通する張り詰めた雰囲気、荒涼とした景色の広がり、そのような被災地に立つ人を包み込むすべての要素を写真では伝えることはできない。撮る人の技術にも多少依存するだろうが。

また一つは、写真は真、客観的な事実を写すものではなく、撮影者の心を写すものだということ。

良く言われるように、新聞の写真には被災地の至る所にあるむごい姿は見られない。逆にカメラマンはむごい姿を撮らずに悲惨さを強調するために、涙を流す人の写真ばかり撮るかもしれない。しかし、それは被災地のほんの一部分にしか過ぎない。あくまでも撮影者が写したいものを選んで写しているだけだ。でも何も知らない人はそれが真実の姿だと思うかもしれない。


要するに、写真では被災地を伝えきることはできない。それどころか、事実を伝えられないために、いらぬ誤解、間違った印象を与える可能性が大きい。プロの撮った写真は被災地を伝えていない、と被災地で感じた我々素人が、果たして写真で被災地を伝えることができるだろうか?体験に裏打ちされた言葉で補えば不可能ではないとも思えるが、相当に難しいことは確かだろう。


私のような通りがかりボランティアが、ボランティアの目的を逸脱して、ボランティア自体を危機にさらしてまで、難しい挑戦をすることはないのだ。


と言う事で、私は被災地の撮影禁止に納得した。もちろん、これはあくまでも私の考えであって異論もあるだろうが、このように思っておけば間違いないと思う。


ところが今回、撮影禁止がやや緩和された(「釜石市へ」)。

今回も、原則として被災地は撮影禁止であることは変わりない。しかし、隊長や班長から撮影の許可がでる場面が多くなった。場所や時間、構図に制限があるものの、被災地の撮影をすることができるようになった。


だが、先に述べたボランティアの目的、被災した方々との関係が変わったわけではない。被災した方々の気持に若干変化があったためだと理解している。

それは、震災から半年経って、被災地のことが被災していない人々から忘れ去られているのではないか、自分たちは見捨てられるのではないか、という被災した方々の切実な不安のためだと思う。被災地には今なお見上げるようなガレキの山がそびえ、沈下した土地は復興のめどが全く立たない。また、財産を失いしかたなく半壊した家に住む方がいたり、仮設住宅に入ったもののすべての絆が絶たれ、一人ぼっちで亡くなる方もいる。それなのに、東京の姿は震災前と変わらず、人々は普段どおりの生活をしている。


そこで、少しでも被災地の現状を伝えるために、被災した方々とボランティアスタッフで、条件をつけて撮影を許可する取り決めをしたらしい。


そのような状況で、私も今回は被災地を撮影しブログに掲載した。


これはとても重い撮影だ。今まで卒業式やら結婚式やら頼まれて撮影を引き受けたことがあるけれど、それは、撮られる側が心から撮って欲しい、残して欲しいと思っていた。しかし、被災地での撮影では被災した方々は、本当は撮って欲しくない、でも少しでも伝えるためには仕方ない、と思っておられるのだろう。

つまり、ボランティアが被災地でシャッターを切った瞬間に、ボランティアとして被災地の様子を伝える使命を負うのだ。報道のプロでさえ伝えきれない1000年にいちどの災害の現実を。


今回のレポート、「釜石市へ」、「陸前高田再訪」、「仲間が来てくれた!」には被災地の写真を掲載している。果たして私は被災地を伝えることができただろうか。はなはだ不安だ。あまりに不安で自信がないので、しつこいくらいに冒頭に口上を書いて注意を促した。


被災地の様子が少しでも伝わり、被災した方々の力添えに少しでもなっていればいいのだが...






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posted by 惰性人 at 21:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 震災復興支援

2011年10月19日

靴を新調〜SALOMON DISCOVERY GTX

新しい靴を買った、と言ってももうひと月前。


事の発端は、8月に行った剱岳だ(「劒岳<ちょっとだけ点の記>」)。八ッ峰縦走の後、北方稜線を剱岳に向かう途中に恐ろしい目にあった。


雨が降ってきたのだ。


そのとき履いていたのは4年前に買った「Treksta バックパックGTX」。Island Peakへのアプローチから笊ヶ岳の藪漕ぎ、北アのテント縦走まで、ハイキングシューズの限界を超えて、さんざん酷使したためにソールが半分ツルツルになっていた。それで雨に濡れた北方稜線の岩場を歩いたものだから、まるで油を塗った鉄板の上を歩いているようにツルツル滑り、そのたびに肝を冷やした。泣きそうだった...


9月に剣北方稜線リベンジがあったので、今度は雨に降られても泣かないように、新しい靴を買ったわけだ。財布がさみしくても命には代えられない。 結局、北方稜線には行けなかったのだが...(「雪の早月尾根」)


靴を選んだ基準は4つ。

予算15000円前後
外的要因...
重さ両足で1kg前後
沢登りや岩登りでは背負うから軽いほうがいい。
ソールが硬いこと
テント装備での夏山縦走や、雪渓をアイゼンをつけて登ることを想定して
ゴアテックスによる防水
やっぱり濡れないほうがいい

そこで選ばれた靴は、


SALOMON DISCOVERY GTX(サロモン ディスカバリー GTX)


111019サロモン・ディスカバリー1 日帰り登山くらいを想定したトレッキングシューズ。

重さは両足で1160g。
ソールはこのクラスとしてはかなり硬め。
もちろんゴアテックスによる防水。
見た目もかっこいい!

111019サロモン・ディスカバリー2 どうでもいいことかもしれないが、靴紐の金具もかっこいい。
しかし、全体的に革の使用量は少なめ。(値段のせいか...)

早速、剱岳で履いてみた。おろしたての靴をいきなり山で履いたのだが、足の幅が広い私にも違和感なしフィット感は抜群。そして軽さも実感できる。 革が少ないせいか、足首は柔らかい。ソールも硬めとは言え、やはりハイキング用の靴なので、重い荷物を背負って岩場を歩くには注意が必要だ。


私のように、これをテント泊の北アの縦走に使おう、というのはそれなりの注意が必要だ。SALOMONに想定外の使い方をするな!と怒られそう。

しかし、この靴の本来の使い方である日帰りから小屋1泊程度の山行で使うなら、軽くて足になじみやすい非常にいい靴だと思う。

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posted by 惰性人 at 21:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 山のアイテム

2011年10月22日

人はなぜ山に登るのか?ヒマラヤ・サミッターの2冊〜本の紹介

人はなぜ山に登るのか?


「エベレスト50年の挑戦―テンジン親子のチョモランマ」
(廣済堂出版、Jamling Tenzing Norgay、Broughton Coburn)

息子は偉大な亡き父親の背中になにを見たのか?極限の状況での信仰とは?そして、チベットの民にとってヒマラヤとは?


世界最高峰・エベレストの初登頂者、テンジン・ノルゲイを父に持つジャムリン・テンジン・ノルゲイが大惨事の1996年エベレストに挑んだ記録。彼は父親から山を教わることなく、しかし、英雄である父を常に意識せざる得なかった。その彼が悲劇の年のエベレストへの挑戦を通して、父を語りそして自分自身にその意味を問う。


エベレストへの挑戦の歴史を知るため、そして山と向き合うために読むべき本。


「K2 非情の頂−5人の女性サミッターの生と死」
(山と渓谷社、Jennifer Jordan)

"K2"、パキスタン、カラコルムに位置するその世界第2の高峰は、困難な登攀と多くの犠牲者から「非情の山」と呼ばれる。この本が記された2004年時点で、その頂に立った女性はたった5人、〜すでに全員に山に消えている〜、その女性の挑戦と死を女性ジャーナリストが追った。


筆者は数々の記事や知人達へのインタビューにより、今は亡き、個性的で強烈な情熱を持った5人の女性達を生き生きと描き出している。しかし、それは、ジャムリンのエベレスト挑戦とは異質なものだ。

ある者は慣習を全く気にしない自由奔放な女性であり、またある者はやさしい母親だ。山に登るのは、名誉と見栄のためであり、または金のためであり、または空を飛ぶような何かのためであったりする。

そして女性であるがために、常に世の中の偏見や、男性の羨望や欲望にさらされ(正直なところ、ヨーロッパの男は山でもやることばっかり考えているのか?と思った。)、また逆に女性の武器を使って困難なルートを登り切った者もいる。


「暗黒に彩られたK2の女性登攀史」と著者は言う。

これも現実なのだ。いや、もしかしたらジャムリンのエベレストはきれい事で、こちらが本当の現実なのかもしれない。


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2011年10月23日

子供たちが震災後をつくる

修学旅行に東日本大震災の被災地を訪ねる学校がある。とても大切なことだと思う。


被災地では未だに余震があり、津波注意報が発令されれば直ちに避難しなければならない。そんな状況で、津波の被災地に子供たちを送り出す決断をした学校、保護者の方々はすばらしいと思う。


震災後何かが変わったという人日本は変わるという人は多い。そして、具体的に何が変わるのかといえば、抽象的な日本という存在ではなく、日本人、我々の心である。心の変化が日本を変えてゆく。

しかし、本当に変わるのだろうか?変わるためには、我々自身が震災のことを知らなければならない。ところが、実際に被災地を訪ねた人は日本人全体から見ればごく少数であろうし、その上、被災しなかった人、復興に関わらない人々からは、早くも震災の記憶が薄れつつある。


こんなときに子供たちが被災地を訪れるのは明るいニュースだ。被災地を実際に見て、感じた子供たちは被災地の姿を胸に刻み、成長し、「震災後」の世代として日本をつくっていってくれることだろう。





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2011年10月31日

なぜボランティアに行くの?〜遠野まごころネットMission3(1)

10/26 秋葉原〜遠野駅

なぜボランティアに何回も行くの?


と聞かれる。なぜなら、


知ってしまったから。


知ってしまったから。震災の被害の悲惨さを、想像を絶する厳しい現実に直面している人がたくさんいることを知ってしまったから。


多くの人のように、知らなければそれで済んでしまったはず。そして、何事もなく普通にすごしていただろう。でも知ってしまったら、それを見なかったことにして、何食わぬ顔をして飲んだり食べたり踊ったり(?)してすごすことはできない。


これは私だけでなく、ボランティアのリピーターがよく口にする理由だ。


と言うことで、再び災害復興ボランティアとして遠野まごころネットに向かった。


途中、電車の中で若い女の子ふたりが話をしているのを聞いた。

「地震で税金が5%上がるんだって〜」

「うっぜ〜、そんなもん金持ちからとればいいんだよ〜」


ちゃんと仕事もあって、住むところもあって、さっきまでグアム旅行の話をしていた君たちは、被災者から見れば立派な金持ちです...。

あちらこちらで見る「頑張ろう日本」の横断幕なんて、頭の片隅にも残らない人もたくさんいるんだろうな...。


ちょっと寂しい気分で遠野行きの夜行バスに乗り込んだ。


次回に続く)

ボランティア1回目:災害ボランティア参加
ボランティア2回目:釜石市へ



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posted by 惰性人 at 23:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 震災復興支援
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