2011年11月02日

あの日のままの大槌町〜遠野まごころネットMission3(2)

10/27 遠野駅〜遠野総合福祉センター〜大槌町〜遠野総合福祉センター

前回の続き)

この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、今なお震災の深い傷跡の残る被災地の様子を伝えるために、許可を得て撮影しました。写真を見た方は今一度、何かできることはないか考えてみてください。


111027早朝の遠野駅前 朝6時、すっかりなじみになった遠野駅でバスを下りて、まごころネットの拠点、遠野総合福祉センターに向かう。先月より一段と気温が下がり、道路沿いの木々も色づき始め、カバンを持つ手も冷たい。

いつものように朝礼に参加し、今日は今まで行ったことのない大槌町でのガレキ撤去を希望する。

111027笛吹峠の紅葉 バスは蛇行した坂道をぐんぐん登り、遠野と大槌の間にある標高およそ800mの笛吹峠を越える。峠の周辺は明るい広葉樹林で赤や黄色に見事に染まっている。ハイキングコースもあるようなので、今度来るときは歩きに来たい。

111027橋野どんぐり広場 峠を越えて栗橋のどんぐり広場で休憩。地場野菜の直売所があり、例にもれず立派な野菜が激安で売っている。
ここ栗橋には1858年に作られた、現存する日本最古の洋式高炉の跡、橋野高炉跡がある。世界遺産登録を目指しているらしい。

111027大槌町堰堤

バスは鵜住居川に沿って、海岸に面した大槌町市街に近づいてゆく。雑草の茂る荒地に2階まで窓が抜けた団地が並ぶ。メインストリートに沿い、1階部分が骨だけになった建物や、壁が黒く焼け焦げたビルの合間をぬける。住宅の基礎に埋め尽くされた、まるでローマの遺跡のような平野を進んで行く。明らかに大槌町は建物の取り壊し、ガレキの撤去が遅れている。


作業現場は海まで十数メートルの海岸で、高さ5mほどの防潮堤に囲まれている。防潮堤の階段は巨人が手でひねったかのように捻じ曲がっている。そして、その防潮堤のすぐ内側の陸地には、フェリー並みの巨大な漁船が、これも巨人がぽん、と置いたかのように無造作に転がっていた。


111027大槌町海岸線と蓬莱島

大槌町での撮影はほとんど禁止されている。風景の撮影は海岸のみ許可された。ここは港だが、沈下したために海面と同じ高さになってしまって、もう使い物にならない。右手には防潮堤が写っているが、陸側になぎ倒されている。左手に写っている島はひょっこりひょうたん島のモデルと言われる蓬莱島だ。震災前は歩いて行けたとのことだが、今は船が必要だ。

目の前に広がる非現実的な風景。しかし、海の水は澄み、暖かい陽の光にキラキラと光り、空には鳶が輪を描いていた。


111027大槌町側溝

今日はかなりの重労働。震災の日のまま手付かずだった側溝のガレキ撤去と泥だし。まずはぎっしりと詰ったガレキを片っ端から側溝から引きずり出す。次に底に溜まったヘドロをスコップでかき出す。津波のヘドロの腐臭が辺りに漂う。震災の日から手付かずと言うことは、掘っていて何が出てくるか分からないと言うこと。ちょっと緊張しながら真っ黒な泥をすくっていった。

泥をかき出すと、中から側溝の蓋がザクザクでてきた。これがめちゃくちゃ重たい。男2人でかろうじて持ち上がるが、ちょっとでも気を抜くと落として指を潰しそうだ。男4人で側溝から1枚の蓋を持ち上げ、震災前にあったと思われる場所に5分くらいかけて運ぶ。ひたすらこれの繰り返し...


111027吉里吉里善兵衛 2時半に作業を終え、ヘロヘロになって遠野に帰ってきた。やっぱり夜はガッツリ食べなくては。きりきり善兵衛に行ってお決まりのカツ定食を食べる。

(次回に続く)



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2011年11月03日

陸前高田の小さな前進〜遠野まごころネットMission3(3)

10/28 遠野総合福祉センター〜陸前高田市〜遠野総合福祉センター

前回の続き)

この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、今なお震災の深い傷跡の残る被災地の様子を伝えるために、許可を得て撮影しました。写真を見た方は今一度、何かできることはないか考えてみてください。


昨日の大槌町での作業では、山田養蜂場から参加した女の子達が元気に一輪車を押して頑張っていた。それを見ていた隊長さんが今朝の朝礼で、「若い人たちが頑張っていると自分も元気付けられる。日本の未来は明るいんじゃないかと思った。」とおっしゃっていた。確かに。しかし、68歳の隊長さんが頑張っているのを見ると、私も負けてはいられないと思う。


ボランティアの参加者をざっと眺めると、20代〜30代前半と60代以降の世代が多いようだ。若い人とリタイアした人が被災地に思いを寄せ、日本の復興のために汗を流している。一方、日本を動かしている働き盛りの30後半〜40代の参加者は少ない。仕事や子育てが忙しいという理由があるのだろうが、逆にそれを言い訳にして自分の世界に引きこもっている気がする。企業も若い人を派遣するだけでなく、固くなった頭と体をほぐすためにも、管理職の研修として派遣してみたらどうだろうか。


111028川の駅よこた 今日は陸前高田市に行く。前回(陸前高田再訪)、皮をむいた杉がどうなったか見ておきたい。
陸前高田市に向かうバスは、途中、川の駅よこたで休憩する。まわりの水田の稲はすっかり刈り取られ、木々も色づき始め秋は深まっている。

111028川の駅よこたの巨大キャベツ

川の駅よこたのお楽しみは、新鮮な地場野菜を激安で買えること。私の地元のスーパーよりはるかにいい品が半額ぐらいで買える。それにしてもこのキャベツはでかいな。かぼちゃの何倍もの大きさだ。


111028川の駅よこたの先の気仙川の河原

川の駅よこたの先に広がる気仙川の河原。なんていうことのない風景。でもここは私がいちばん復興を実感するところ。6月に来たときにはここはまだガレキ撤去前で、破壊された家や潰れた車が河原を埋め尽くしていた。今はすっかりきれいになっている。


111028陸前高田市街地を行く

そして丘を越えると、すべてが津波奪われた陸前高田市街地が目の前に広がる。何度も見た風景だが、その景色を見た瞬間、初めて見たときと同じ感情が胸にこみ上げてくる。


111028陸前高田市気仙町でのガレキ拾い 今日は前回と全く同じ場所での作業。前回来たときには住宅の基礎があったが、基礎は重機で破壊され撤去され完全な更地になっていた。そこで重機では撤去できない、ガラスやコンクリートの破片をひたすら人海戦術で拾う。

111028陸前高田市気仙町の杉の小屋 おお、あれが私が皮をむいた杉で作っている小屋だ。農機具を置いたり、農作業をする人やボランティアが休憩する場所になる。本当に小さな前進だが、確実に復興に向かって進んでいる。
今日はひたすら石を拾い続けた。秋の日は短い、すでに日暮れの空気が漂う2時半に作業を終了し遠野に戻る。

111028遠野総合福祉センターの体育館 宿泊所になっているボラセンの体育館。畳が敷かれた。一日の作業を終えたボランティアたちが思い思いにくつろいでいる。
5時からここで全員参加のミーティングがあり、ボランティア活動を通じて思ったこと感じたことをみんなに伝えたり、明日の作業の求人、事務局からの連絡などが行われる。

111028遠野水光園 ミーティングの後、水光園お風呂ツアーに参加する。ボラセンにも仮設シャワーがあるのだが、やっぱりゆっくり湯につかり、ゴシゴシと体を洗いたい。
このツアーは水光園のご好意で行われている。被災した方々を支えるボランティアもみんなに支えてもらっている。

次回に続く)



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2011年11月06日

神社を復興の礎に〜遠野まごころネットMission3(4)

10/29 遠野総合福祉センター〜釜石市〜遠野総合福祉センター

前回の続き)

この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、今なお震災の深い傷跡の残る被災地の様子を伝えるために、許可を得て撮影しました。写真を見た方は今一度、何かできることはないか考えてみてください。


111029まごころネット朝礼 今朝は濃い霧が立ち込め肌寒い。しかし、沿岸部の天気予報は晴れとのことなので、今日もボランティア日和だろう。
朝礼では、各団体、そして個人参加者と集まってならぶのだが、土曜日なのに個人参加者は3列しかない...以前は200人近い参加者の半分くらいいたのに。団体は頑張っているが、個人ボランティアの減り方は著しい。

111029釜石市新日鉄のガレキ焼却

今日は釜石市箱崎地区のガレキ撤去に向かう。先月からの変化をこの目で確認するために、一度行ったところはどうしても再び訪れたい。

釜石市へ向かう途中、釜石のボランティアセンターで100m以上はあろうかという、人々の長蛇の列を見た。冬物衣料の配布があるとのことだ。被災された方々は1枚の衣料を受け取るために、長い時間ならばなければいけない状況にある。


ガレキを燃やす新日鉄の白い煙が見えると、もう釜石市街地だ。


111029釜石市根浜地区

今日の作業は根浜地区で神社のガレキの撤去。根浜はトライアスロン会場やヨットハーバーがあり、マリンスポーツが盛んで、そのため、たくさんの民宿があった。しかし、現在は写真のとおり、すべて津波で流され何もない。住んでいた方々もすべて他地区に移られ無人となっている。我々が作業する神社の横の水路では、今なお警察が行方不明者の捜索をしていた。


111029釜石市根浜地区でのガレキ撤去 この冨玉姫神社は地域のコミュニティーセンターのような役割を負っていた。そこで、住民の方々の心の支えとして、復興のシンボルとして神社を整備する。
神社は海岸に近いため、社務所は流され、基礎も砂とヘドロに埋もれ、さらにその上には、背丈ほどの雑草がみっしり生い茂っていた。雑草を引っこ抜き、ガレキをどかし、遺跡を掘り当てるかのように基礎をヘドロから掘り出した。

111029釜石市根浜地区富玉姫神社

作業を終えて本殿にお参り。ここは平将門により建立されたという伝説があり、竜神、山の神、そして、河童の神が祭ってある。


本殿は標高20mの丘の上に立っていて、ここは津波の避難所にも指定されている。しかし、津波は丘を駆け上がり、本殿も波に洗われた。

作業中に宮司さんがやって来て、震災の日のお話をうかがった。岩手には報道で有名になった「津波てんでんこ」という言葉ある。これは津波がやってきたら、肉親にかまわずとにかくめいめい逃げろ、と言う意味である。しかし、津波てんでんこと言ったって、誰が年老いた親を捨てて逃げれるものか、それで逃げ切れずに犠牲になった若い人がたくさんいた、と宮司さんはおっしゃっていた。


111029釜石市車があったところ 一日の作業を終えて帰途に着く。見覚えのある風景が...そう、ここは前回(「釜石市へ」)、津波に押し潰された車の写真を撮ったところだ。
でも車はなくなっていた。

111029遠野のお母さん達が作ってくれたひっつみ ボラセンに帰ると、遠野のお母さん方がボランティアのためにひっつみの炊き出しをしてくれた。「ひっつみ」とは関東で言うところのすいとん。しょうゆ味がうまい、野菜いっぱいでヘルシー。お母さん、ありがとう、心まで温まります。

111029遠野食肉センターでジンギスカン ひっつみを食べたのにまだ食う。ボランティアで毎日体を動かしていると食欲にきりがない。ジンギスカンは遠野の名物らしい。そこでうまいと評判の遠野食肉センターで肉を焼き焼き、ビールを飲み飲み。

次回に続く)



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2011年11月07日

陸前高田&すみた産業祭り〜遠野まごころネットMission3(5)

10/30 遠野総合福祉センター〜陸前高田市〜すみた産業祭り〜遠野総合福祉センター

前回の続き)

この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、今なお震災の深い傷跡の残る被災地の様子を伝えるために、許可を得て撮影しました。写真を見た方は今一度、何かできることはないか考えてみてください。


111030まごころネット求人 まごころネットでは、いろいろなボランティア求人の中から自分でやりたい作業を選べる。ガレキ撤去のほかに、被災した方々の話し相手になったり、憩いの広場を整備したり。ガレキ撤去の求人はホワイトボードに書き出されている。
私の復興支援ボランティアの原点、陸前高田市のガレキ撤去欄に自分の名前を書く。

111030川の駅よこたに並ぶボランティアバス バスを連ねて陸前高田市に向かう。ガレキ撤去を希望する個人参加ボランティアは、今日はなんと、たったの20数名しかおらず、全員合わせても陸前高田に行くバスの一台を埋めることもできなかった。

111030川の駅よこた横断幕 途中、休憩によった川の駅よこたには、保育園児による横断幕が掲げられていた。ここに来るまでにも、道路の沿線や公共の建物に同じような横断幕や看板が随所に掲げられている。そして、ボランティアのビブス(ゼッケン)をつけて道を歩いていると、通りがかった人に「ありがとう」と声をかけられる。

111030陸前高田のサンマの残る森

今日の現場は5月から6月にかけて「サンマ隊」が活躍した場所。水産物の倉庫が津波で押し流され、船や家屋のガレキに混じって大量のサンマが散乱していた。ボランティアたちがガレキを乗り越え、大量の蝿や猛烈な腐臭と戦いサンマを回収した。


平坦な場所ではサンマもガレキも片付けられているが、山の斜面の杉林は震災の日から手付かず。ビニールやプラスチック容器が杉の幹に絡まったり、地面に半分埋まっている。それら掘り出し回収する。と、時としてガレキと一緒に、白い虫がびっしりウニョウニョとうごめく、サンマだったものらしき塊を掘り出してしまう。見なかったことにして、あわてて埋め戻して土に帰す。

あたりには6月に牡蠣棚を片付けたときと同じ、ヘドロの臭いと腐臭が漂う。腐ったサンマが混じった泥が衣服につくと臭いが取れないので、全員、マスク、ゴーグル、ビニールの雨具、長靴、ゴム手袋などで完全に体を覆っている。なので気温は高くないものの、真夏のような暑さの中で作業しなければならない。


111030すみた産業祭り 午前いっぱいで作業を終え、午後はみんなで陸前高田市の隣町、住田町で開催されている「すみた産業祭り」を訪れる。「産業祭り」と言っても物産展だけでなく、屋台などあって地域住民の交流のための祭りのようだ。地域の方々と交流するのもボランティアの大切な役割の一つ。

111030すみた産業祭りサンマのすり身汁 ついさっきまでサンマのゾンビと戦っていたことをすっかり忘れ、出店で「サンマのすり身汁」を買う。サンマのつみれと野菜のしょうゆ味の汁。うまいね。このあと、鳥のつみれ汁、焼き鳥、...と食べれるだけ食べた。

111030陸前高田の看板 再びバスに乗り遠野に戻る。陸前高田市の看板が目に入った。早くこの看板を立てたときのように戻れるといいね。

ボラセンに戻り今回のMissonはすべて終了。ささやかな自分への御褒美にボランティア参加者を対象としたお風呂&食事ツアー(水光園&伝承園で郷土料理)に参加した。そして遠野駅前から夜行バスに乗り、震災などなかったかのような平和な東京に戻る。ああ、でも戻ってそのまま仕事というのはボランティアより大変だ...




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2011年11月09日

快晴のトマノ耳〜谷川岳から三国峠(1)

11/4 水上〜天神平〜谷川岳山頂(トマノ耳)〜万太郎山〜越路避難小屋

天気予報は土曜日まで秋晴れと言っている。がっつり山に登りたい。でも懐はさみしい...。そうだ!こんなときは近くて良い山、谷川岳に行こう。ついでにスキールートの偵察をしてこよう。さらについでに、いつのまにか溜まった賞味期限切れの山用食品を片付けてこよう...。賞味期限が2007年のパスタってどんな感じかな...


111104谷川岳・水上駅前 上野駅から鈍行にゆられて水上駅で下りる。谷川岳ロープウエイの最寄り駅は土合だが、水上〜土合の列車は2時間に1本くらいしかないうえに、土合駅はホームから出口まで恐怖の階段がある。だからロープウエイへは水上駅からバスがよい。
紅葉は駅前まで下りてきて秋真っ盛り。

111104谷川岳・天神平ロープウエイ

谷川岳ロープウエイは標高差670mを7分で駆け上る。速い速い。おまけにすごい静かだ。ロープウエイから見下ろす紅葉の見事さは有名だが、さすがに時期がちょっと遅かったようで、上がるにしたがって枯れ木の山になる。


111104谷川岳・天神平から白毛門

天神平到着。久しぶりに無雪期の天神平にやって来た。本当に秋晴れだ。ポツポツと雲はあるがほぼ快晴。青空をバックにそびえる白毛門、笠ヶ岳、朝日岳は四季を問わずかっこいい。


111104谷川岳・熊穴沢への道

天神平からトラバース道を谷川岳に向かって歩き出す。涼やかな初冬の山を期待したのに、なぜか汗だく...気温が15度を超えている。フリースを脱ぎ、Tシャツになって、頭にタオルを巻き、日焼け止めを塗って歩き出す。


111104谷川岳・熊穴沢小屋 熊穴沢避難小屋。コンクリートの床に木のベンチがある。昔、このあたりで12月にビバーク訓練をしたことを思い出した。日帰り装備とシュラフカバーだけで雪の中一晩過ごした。積雪が少なかったので雪洞が掘れず、体半分入る穴を掘って風をよけるのが精一杯だった。なんて無茶なことをやらせるんだ...

111104谷川岳・熊穴沢避難小屋の先の急登 熊穴沢避難小屋をすぎると雰囲気が一変し急登がはじまる。鎖場もあるがたいしたことはない。

111104谷川岳・オジカ沢の頭&マナイタグラ

尾根の左手にはすっきりとしたピークのオジカ沢ノ頭と俎ーの荒々しい岩壁。高度を上げるにつれて尾根を吹き抜ける風が冷たくなってきた。


111104谷川岳・山頂はもう近い

急登が終わり、こんもりとした笹のドームを登り始めれば、山頂はもうすぐだ。このこんもり地形は積雪期にホワイトアウトするとルートを失いやすく、下山のときに正解の尾根に乗りにくい。それでここでの遭難は多い。


111104谷川岳・肩ノ小屋 肩ノ小屋に到着。無人になったり有人になったり忙しい小屋。山頂にも近く、国境稜線を正面に見るロケーションは最高。

111104谷川岳・山頂からの展望
写真クリックで拡大

山頂(トマノ耳)到着。快晴。360度の展望。赤城山から白毛門、稜線を目で追って巻機、越後駒方面。その後には日光から尾瀬の山々。西には苗場から白砂の稜線が見える。

そして、平日なのになぜか山頂には20人くらい人がいて賑わっている。人のことは言えんが。


111104谷川岳・肩ノ小屋と国境稜線

谷川岳にはもう1つオキノ耳というピークがある。そちらのほうが若干標高が高く、本峰だと説があるが、今回は時間もないしそんなことはどうでもよい。さっさと肩ノ小屋に戻る。


111104谷川岳・国境稜線へ

肩ノ小屋で進路を西に変え、国境稜線に入る。国境稜線...いろいろあるけど関東に住む者にとっては、群馬と新潟の県境のことだと思って87%くらい間違いないだろう。

天神平〜谷川山頂の半ばハイキングコース化した賑わうルートと違って、ここからはぐっと山深くなる。見たところ歩いている人はいない。連なる山々が手招いている。熊鈴をザックにつけて出発する。


次回に続く)



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posted by 惰性人 at 00:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 山登り〜縦走
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