2011年06月27日

災害ボランティア参加〜遠野まごころネット(1)

6/25 遠野駅〜遠野総合福祉センター〜陸前高田〜遠野総合福祉センター

110625遠野駅前 早朝6時半。ひっそりとしたJR遠野駅前で夜行バスを下りる。遠野といえば民話の里として有名だが、今回は観光ではない。
大きな荷物を持った人が数人がやはりここで下りた。おそらく、私と同じく災害ボランティアとして、ボランティア集団「遠野まごころネット」の拠点、遠野総合福祉センターに向かうのだろう。

110625遠野総合福祉センターへの道 遠野駅から福祉センターまではおよそ徒歩20分の道のり。曇り空の下、バックパックを背負ってポコポコ歩く。途中、交通標識に「釜石」、「大船渡」と3・11の震災で甚大な津波の被害を受けた地名を見る。思わず緊張し、背筋が伸びる。

110625遠野総合福祉センター 遠野総合福祉センターに着いた。駐車場にはたくさんの車が並び、玄関前にはすでに100人を超える人々が集まっていた。
県名が書かれたゼッケンをしている人もいれば、外国人の集団や、女子大生の集団もいた。

あわてて、正面玄関に入って受付をした。「遠野まごころネット」は震災復興の支援のために立ち上げられたボランティア集団で、志のある人の参加を随時受け付けている。誓約書を出して受付を済ませ、晴れて私もその一員となった。

何しろ、災害ボランティアは始めての体験で、現場についていくのやっとで、写真を撮っている余裕はなかった。また、被災地は被災者の方々の心情に配慮して撮影禁止。なので、ここからの写真はほとんどなし。


身支度を整え150人ほどが集まる玄前広場で朝礼。自衛隊の災害出動や阪神大震災の援助活動などの経験を持つ隊長(もちろんボランティア)から、オリエンテーションを受ける。

ガレキ撤去のために被災地に行くということは、まさに津波に襲われる可能性のある場所に行くことだと言われ、身が引き締まる。さらに、安全靴は安全ではない、衛生状態が悪いため、被災地ではちょっとした切り傷でも破傷風にかかる可能性がある、など安全についての注意や、被災者への心遣いなど様々な話を聞く。


一通りの注意とメンバーの紹介を受けた後、今日の派遣場所を決める。派遣場所と仕事の内容が読み上げられ、希望するものに手を挙げる。仕事はガレキ撤去から民家の清掃、写真の洗浄、炊き出しの支援など様々だ。「陸前高田」とニュースでよく聞く地名で手を挙げた。


4台のバスに分乗し、遠野から被災地の陸前高田を目指す。遠野から陸前高田まではおよそ1時間。とても大地震があったとは思えない、のどかな山間部をバスは列をなして進んでゆく。


しかし、休憩に立ち寄った「よこた川の駅」から先に進むと、徐々に景色が変わってゆく。進行方向右に気仙川が流れている。その河原は、洪水に流されたようにガレキに覆われ、ひしゃげた自動車が転がっている。そして、川にかかる鉄道の橋がぷっつりと途中で落ち、線路が何か強い力で引きずられたかのように捻じ曲がっている。

いったん、道路は川から離れ小さな丘を登る。そして頂上を越えて下りに差し掛かると、突然視界が開け、海岸に沿った陸前高田の平野が目の前に広がる。誰も何も言わない。バスの中は張り詰めた空気で押しつぶされそうだ。目の前に広がる、かつては街だったはずの陸前高田の平野には何もない。海まで視界をさえぎるものは何もなく、茶色く湿った地面続いている。いや、押しつぶされ、引きちぎられたガレキを除いては...


バスはガレキの間につけられた道路を進んでゆく。テレビで何度も見た、多くの人が亡くなった病院の建物が荒野にぽつんと残っている。海辺には4階建てのマンションが残っている。海に面した3階までの窓はすべてなく、その奥に建物の向こうの空が見える。輪のようにならぶ照明が、その水没した場所が野球場だったことを示している。防波堤だったと思われるコンクリートの塊が、海からわずかに頭を出している。高架道路の橋脚だけが建ち並び、その向こうに道路が放り投げられたように無造作に横たわっている。陸前高田駅があったはずだが、そこはひろい沼のように水が溜まっているだけで、どこにあったか痕跡すらない。その水には潰れた自動車が沈んでいる。道路の両脇には大量のガレキがマンションの3階より高く積まれ、見上げるような山になっている。


そして、空には赤いヘリコプターが飛び、海辺では長い棒を持った人たちが捜索している。


そう、ここは津波に襲われた現場で、今なお、現在進行形で被災地なのだ。最近、テレビや新聞で盛んに「復興」という言葉が使われるが、どこが復興なのだろう?むなしくなる。


市街からちょっと高台に上がったところが今日の作業の場所だ。安全靴を履き、軍手とゴム手袋をし、防塵マスクと眼鏡を身に着け、ヘルメットをして準備完了。班長から津波が来たときの避難について(とにかく高いところに逃げろ!)と安全についての注意、そして作業内容の説明を受けて作業開始。


まずは、公民館のガレキの撤去。ガレキと言っても建物はほとんど津波に流され、建物自体は床板が残っているだけ。そしてその周りにたくさんの木材やコードなどが散らばっている。建物の右側のガレキを撤去し、木材、ガラス、金属などに分別する。ひと班は十人くらいで、みなで一斉に作業に取り掛かる。みんな目的はただ一つ、復旧のお手伝いなので、誰もボケッとすることなく、黙々と協力しながら作業を進めていく。

ボランティアの安全、健康には特に配慮されていて、1時間に1度の全員休憩のほか、疲れたならば自分の判断ですぐに休憩を取るようにと念を押されている。できることをできるぶんだけ、がボランティアのモットーらしい。もっとも今日は気温が低く、材木を担いで歩いてもそれほど暑くならないので助かる。


1時間のお昼休みを取って午後の作業に入る。ちょっと段差があって重機が入りにくい場所のガレキの撤去。こちらは建物がぺシャンと潰れた格好になっていて、柱や梁などかなり重たい木材の運び出しになった。また、まわりにはガラスが散乱していて、津波の運んできたヘドロを手でかき分け、泥の中からガラスの破片を一つ一つ拾ってゆく。ヘドロの中から歯ブラシや人形が出てくる。ここに住んでいた人はどこに行ったのだろうか...


2時45分、事前の予定通り、今日の作業を終了する。みんな、まだまだ働けるよ〜、というオーラを盛んに発しているが、帰ってやることがあるのできっちり帰る。泥の着いた安全靴をビニール袋にしまってバスに乗せ、人数を確認してバスは発進。ガレキの中につけられた道を戻ってゆく。


110625休憩した横田川の駅にて 帰りも「よこた川の駅」で休憩。

本当にみんなご苦労さまでした。

福祉センターに戻って、17時から新しく参加した人のためのオリエンテーション。ここでの作業の内容や生活について説明を受ける。17時半からは全体ミーティング。今日ボランティアに参加したすべての人が集まって、今日の作業内容や、作業を通じて気付いたことを報告し、意見を交わす。ここにはお客さんはいない。ひとりひとり全員が主人公なのだ。


ミーティングが終了すると、本日の予定はすべて終了。温泉ツアーに参加し、バスにのって温泉に入りに行く。その後は近くの定食屋で食事。遠野は震災の被害が沿岸部に比べ少なかったため、コンビニや食堂、風呂屋など普通に営業している。本日の宿は福祉センターの体育館。床にマットを引いて寝袋で寝るが、大勢いるのに騒ぐ人もいないし、お湯も欲しいときに手に入るし、自動販売機もあるし、トイレも十分あるし、山小屋や途上国のバッパーよりはるかに快適だ。コンビニで買ってきたウイスキーの水割りで軽く一杯やって10時に消灯。


ボランティアの今日一日の流れ。
  • 7:20 受付
  • 7:30 朝礼、諸注意とリーダーの紹介
  • 8:20 陸前高田に向けて出発
  • 9:40 陸前高田の現場到着
  • 10:30 作業の説明の後、ガレキの撤去開始
  • 12:00 昼休み
  • 13:00 午後の作業開始
  • 14:45 作業終了、帰途に着く
  • 17:00 新人オリエンテーション
  • 17:30 全体ミーティング
  • 18:10 温泉ツアーに出発
  • 19:45 温泉ツアーから帰ってきて食事
  • 22:00 軽く一杯やって消灯

次回に続く)



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2011年06月28日

泥んこのガレキ運び〜〜遠野まごころネット(2)

6/26 遠野駅〜遠野総合福祉センター〜陸前高田〜遠野総合福祉センター

前回の続き)

110626遠野総合福祉センター体育館での朝 朝6時起床。多少いびきがうるさい人がいたが、ぐっすり眠れた。昨夜、コンビニで買っておいた朝食をとる。みんな「おはようございまーす」と周囲に声をかけながら、きびきびと今日の準備をしている。洗面台もトイレも譲り合って気持ちよく使える。組織のミッションが明確だと、こんなにも組織は効率的に機能するものなのか。

110626ボランティア受付 7時をすぎると玄関前にボチボチと人が集まりだす。私も外に出て玄関前にある、作業希望を書き込むホワイトボードの「陸前高田」の欄に自分の名前を書き込む。昨日手がけた現場をできるだけ見とどけたかった。

7時半から昨日と同じ朝礼。今日の参加者は昨日より若干減って100人くらいだろうか。

隊長が昨日と同じ注意を繰り返す(びみょ〜に違うけど)。昨日はなんとなく聞き流したことでも、作業を経験した今では心に残ることも多い。

「あなたも私もすべての日本人がこの震災の被害者である。幸い直接被災しなかった私たちは復興の手伝いをすることができる。それは人のためにやってあげるのではなく、被災者である自分自身のためであり、自分のためにやらせて頂くのだ。」

「ガレキの撤去は6,7割進んだ。しかし、皆さん御自身が見たとおり、元の生活とは程遠い。我々がしている復興とは、ゼロからの出発ではなく、マイナスをゼロにする地道な作業だ。それも行政や重機に先んじている。だから、ガレキの撤去であれ、ガラス窓の拭き掃除であれ、炊き出しのお手伝いであれ、どんな仕事でも重要なのだ。余計な気負いは捨てて頑張って欲しい。」

などなど。隊長の激励を受けてバスに乗りこみ、バス3台で陸前高田に向かう。


よこた川の駅を出発した頃から雨が激しく降ってきた。隣に座っている大学生が、せっかくここまで来て作業しないで帰るのは嫌だ、と言っている。同感。


昨日と同じ現場に着いたときにはシトシトと雨が降っていた。とりあえずお昼まで作業することが決まり、身支度を整え上下雨合羽に身を包みバスを下りる。ちょど捜索を終えたばかりの警察の方々とすれ違った。お互いに「ご苦労さまです」と挨拶し、今、警察の方々が捜索していたガレキの山に向かう。


雨のせいで何もかもドロドロ。材木を滑って落としそうになるが、釘だらけなのでつかむのも気が抜けない。手袋も雨合羽もマスクもドロドロになり、水を飲もうと持ってきたペットボトルを手に取ると、ペットボトルの口もドロドロになっていた...

それでもみんなのテンションは下がることなく、黙々とガレキを片付けている。瓦運びでいい加減腰が重くなったな〜と思ったとき、それを察して日本語を全く話せないアメリカ人が代わってくれた。


12時に昼休みの休憩。雨が強くなってきたので、とりあえずバスの中でお弁当を食べながら待機となった。ドロドロの雨合羽と安全靴を脱ぎ、バスの中でスタッフが手配してくれた豚の味噌焼き弁当を食べる。今日会ったばかりの人達と作業の話や本職の話で盛り上がる。ボランティア仲間とは不思議な親近感がある。


作業を続けたいという希望が多かったが雨が強いので、希望者のみ切りのいいところまで、最長2時まで、という条件で作業を行うことになった。体調の悪い方をのぞいて、皆、ドロドロの装備を身につけ外に出る。午後になって気温が下がっているようで、じっとしていると寒い。さっさと作業にとりかかり体を温める。

2時にはほぼ予定していた場所が片付き、みんなで泥をほじくり返して、木片やビニール、ガラスの破片を集めている。2時になってリーダーが終了のコールをしても、誰も手を止めようとしない。ついにはリーダーが「今手に持っているものだけを持って集まってください」と怒鳴った。みんな手がけた場所は完璧にきれいにして帰りたいようだ。


早めに切り上げたので、3時半には福祉センターに戻ってきた。まごころネットの代表が玄関に立っていて、バスを下りるひとりひとりにご苦労さまと声をかける。そして、先に帰っていたメンバーも、お疲れ様と声をかけてくれる。そして寝床の体育館に入ると「ボランティアを励ますボランティア」の方々が熱いコーヒーとお菓子を配ってくれた。雨と汗で冷たくなった体に沁みる〜。

この後、全体ミーティングがあり、応募者の少ない花壇整備のチームリーダーが、大船渡で行っている花壇整備のボランティアがどんなに重要かを力説した。すごい説得力があり、みんなが思わず拍手をした。熱い人が多い。


110626快適にボランティアができる設備 ボランティアの拠点、多くのメンバーが寝泊りする福祉センターには、快適にボランティアできるように様々な設備がある。きれいなトイレやシャワーのほかに、電子レンジやお湯まである。

110626遠野水光園 ミーティングを終了し、私の今回の活動は終了。事務局がアレンジしてくれたお風呂&食事ツアーに参加した。お風呂はセンターから車で15分ほどのところにある「水光園」。温泉と言えば温泉なのか...ちょっと微妙。
ここには作業に当たっている自衛官の方々がたくさんやって来るので、洗い場争奪の熾烈を極める。

110626遠野伝承園 お風呂でさっぱりした後は食事。「伝承園」にて遠野の風土料理を頂く。すいとんがうまい。ここで隣の席に座った方は、なんとウルタルTを初登頂した方だった。そう言えば、作業ではブルキナファソで2年間木を植えていた方と一緒だった。色々なバックグラウンドをもった人たちと出会えるのが面白い。
食事の後は、古民家を見学し、座敷わらしの昔話を聴いて福祉センターに戻った。

ビールを買って、10時27分遠野発の夜行バスに乗る。すべて終了。明日からはいつもどおり仕事。



私が見た陸前高田は復興とは程遠いものだった。ガレキが片付いてきていると言うが、実は、巨大な山にして積んでいるだけで、なにも減っていないように見える。家一軒のガレキを分別するのに40人で2,3日かかることを思うと、まだ気の遠くなるような作業が待っている。そして、未だ重機が入らず、人の手のみに頼ってガレキ撤去を行っている集落もある。

その一方で日に日にボランティアの数は減っているそうだ。直接の被害を受けなかった日本人は震災のことを忘れつつある。

明らかに、迅速な復興のために多くのボランティアが今、必要とされている。


このブログを読んでくれる人達の中には、登山をする人やバックパッカーがいると思う。そういう人たちにとって、災害ボランティアはとっつきやすいものだと思う。色々な設備が整った福祉センターは寝袋で寝るとは言え、山小屋や途上国のバッパーよりはるかに居心地がいい。遠野であれば、コンビニや食堂は営業しているので不自由はない。さらに、我々は、雨具を着て体を動かすのにも慣れている。速乾性の下着だって持っている。多少汚れたって平気だ。もし、体力に自信がなくても、写真洗浄や炊き出しのお手伝いの作業もある。


今回の地震では日本人すべてが被災者だ。復興支援は自らを支援すること。週末にボランティアに参加することは、週末に泊まりで登山に行くのと経済的にも時間的にもたいして変わらない。それだったら、ぜひ、登山1回分、旅行1泊分をボランティアに振り分けて欲しい。絶対に他では得られない貴重な体験となることを約束する。


ボランティアに参加できないのであれば、せめて、被災地は今なお復興には程遠いことを忘れないで欲しい。そして、今日も、見返りを求めず、ヘドロに手を突っ込んで黙々とガラスの破片を拾い集めている人達がいることを心に留めて欲しい。


次回に続く)



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2011年06月30日

ボランティアに参加するには〜遠野まごころネット(番外編)

前回の続き)

前回まで陸前高田での災害ボランティア体験を紹介した。それで、ちょぴっとでもボランティアに興味を持ってくれた人のために、私が今回参加した「遠野まごころネット」を通じての、初めてのボランティアへの参加の手順を紹介する。


ぶっちゃけ言えば、遠野まごころネットのホームページをじっくり読んで欲しい。


遠野まごころネットhttp://tonomagokoro.net/)


でもそれだけじゃみもふたもないので、蛇足ながら補足を。


「遠野まごころネット」は「東日本大震災で被災した岩手県沿岸部の被災者の方々を支援するべく、遠野市民を中心として結成されたボランティア集団」(ホームページより)。遠野総合福祉センターを拠点にしていて、そこに行って登録すれば、誰でもその日からボランティアができる。


だいたい次の手順でボランティアの登録をする。


  1. 災害ボランティア保険に加入する
  2. ホームページのボランティア登録フォームに記入する
  3. 装備をそろえる
  4. 遠野までの交通手段を確保する
  5. お弁当を持って朝7時までに遠野総合福祉センターに行って受付する
  6. 晴れてボランティア!

以下、各項目の詳細。


1. 災害ボランティア保険に加入する

「社会福祉協議会」で災害ボランティア保険に加入する。「社会福祉協議会」とはなにか?実は私もよくわからないが、各市町村に少なくとも一つは事務所がある。そこへ行って「ボランティア保険に加入したいんですが〜」と言えば手続きしてくれる。その際、震災の災害ボランティアと目的を言うこと。

居住地域の事務所でなくていい。「自治体名+社会福祉協議会」で検索すれば最寄の事務所がわかるだろう。例えば世田谷区なら「世田谷区社会福祉協議会」。私は職場の近くの事務所で手続きした。400円くらいだったかな。


2.ホームページのボランティア登録フォームに記入する

先に紹介した遠野まごころネットのホームページにある登録フォームに、名前やら連絡先やらを記入する。


3.装備をそろえる

これがいちばん大変かも。持ち物リストがホームページにある。ガレキ撤去をするなら以下のものが必要。


安全靴、鉄板入り中敷
安全靴とはつま先に鉄板が入った長靴。できればすねまでの長さで、口がキュッと締めれるやつがいい。それに鉄板が入った中敷を入れる。この中敷は絶対に必要。ガレキは釘だらけなので、これで釘を踏み抜く危険を下げる。
安全靴のほかに、履き替えるための普通の靴も必要。
マスク
被災地は粉塵や悪臭など衛生状態が悪いのでマスクをする。工事の防塵マスクがいい。使い捨てなので日数分用意する。
ヘルメット
ヘルメットではなく帽子の人も多いが、ヘルメットのほうがいい。倒壊しかけた家屋に入るためには必須。私はいつものクライミング用のを持参。
ゴーグル
スキー用でも水泳用でもいいようだが、私は100円の作業用を見つけたので、それを買って持っていった。現場は埃や木屑が舞っている。ガレキで目を突くかもしれない。
雨合羽
少々の雨でも作業するので必須。上着とズボンが必要。でもゴア雨はやめた方がいいと思う。ドロドロになるし、釘で破れるかもしれないので2, 300円の安物がいい。
手袋
絶対必要なのは、厚手の作業用のビニール手袋。耐油性ならなおよし。台所の手袋じゃダメ。釘をつかんだり、ヘドロの中のガラスを拾ったりするのでできる限り丈夫なもの。軍手や作業用の皮手袋の上にビニール手袋をする。
作業着
もちろん動きやすい服装ならなんでもいいと思うが、汚れるし、破けるかもしれないので、速乾性の(ポリエステルの多い)作業着がお薦め。上下で4000円くらいで手に入る。
下着
下着はできれば登山用の速乾性のものがいいと思う。汗や雨で濡れる可能性大。
タオル、手ぬぐい
両方ともあったほうがいいかな。
ビニールの手提げ袋
作業場の横に水筒などを入れて置いておく。デイバックなどでもいいけど汚れるから。
アルコールを含んだウエットティッシュ
お弁当を食べる前に手を拭く。現場では水道で手は洗えないと思ったほうがいい。

作業装備のほかに、体育館で寝るなら寝袋がいる。安眠するために枕をどうするかも考えておこう。シャワーを浴びるための小物や洗面用具、着替えも必要だね。


4. 遠野までの交通手段を確保する

遠野総合福祉センターは遠野駅から徒歩20分くらい。東京から遠野駅までは鉄道なら、


東京〜(やまびこ)〜新花巻〜(釜石線)〜遠野


バスなら例えば、


夜行高速バス〔遠野・釜石号〕(国際興行バス


車で来る人のために駐車場もある。


5. お弁当を持って朝7時までに遠野総合福祉センターに行って受付する

昼食は自分で用意する。遠野駅から福祉センターに行く途中にコンビニがある。ホームページにある誓約書に記入しておいて、正面玄関の受付に提出すればすべて完了。


6. 晴れてボランティア!

7時半から朝礼があり、そのあと作業の割り当てがある。希望するものに手を挙げればいい。ガレキ撤去から写真洗浄、運営スタッフなど力仕事から屋内作業までいろいろある。


作業が決まれば、行ってらっしゃい!




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2011年07月02日

やっぱり少ないらしい

「震災ボランティア、阪神の4割 首都圏からの距離影響」(asahi.com 7/2)


今回の東日本大震災のボランティアはやっぱり少ないらしい。

震災の直後は、周囲の人やテレビでマイクを向けられた人はみんな、「今すぐ力になりたいのに、何もできない自分が悔しい」とか言っていたのに...


記事では首都圏からの距離が理由だと行っているが、夜行バスや新幹線で土日だけ参加できるわけだし、県外からの日本全国からの参加者が半数以上らしいので、それだけではないと思う。

おそらく、県外の人がボランティア活動できるようになったのは、震災からかなり立ってからだったので、多くの人は震災直後の気持や被災地のことを忘れてしまったんだと思う。みんな被災地のことより、通常どおりに戻った自分の生活や、節電や原発のことでいっぱいなんだ。


ちなみにこの記事の左上の写真は私が参加した「遠野まごころネット」のボランティアの写真です。ガレキ撤去は、どんなに暑くても、なるべく肌を露出しないようにしなければならないので、先週は大変だったことでしょう。





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2011年10月09日

釜石市へ〜遠野まごころネット再び(1)

9/29 遠野駅〜遠野総合福祉センター〜釜石市〜遠野総合福祉センター

この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、今なお震災の深い傷跡の残る被災地の様子を伝えるために、許可を得て撮影しました。写真を見た方は今一度、何かできることはないか考えてみてください。


110929遠野駅に下り立つ ほぼ半年ぶりに早朝の遠野駅に立つ。6月のボランティア参加(「災害ボランティア参加〜遠野まごころネット(1)」)後もずっと被災地のことが気になっていた。震災から半年がたって、人々の震災の記憶が薄れつつあり、ボランティアの数も減っているという。
気にするくらいなら行けばよい、と言うことで再び復興支援NGO「遠野まごころネット」に参加してボランティア活動をすることにした。

110929遠野市早瀬川を渡る

遠野駅からボランティアセンター(遠野市総合福祉センター)まで徒歩で15分くらい。途中、遠野市を横切る早瀬川を渡る。天気予報は晴れ時々曇りだが、ここは深い霧。天気が悪いと活動が制限されるので雨だけは降らないで欲しい。


110929遠野市総合福祉センター近くのコンビニ ボランティアセンターに行く途中、国道283号線沿いにあるコンビニ。ここでお昼ご飯を買う。
国道沿いにはコンビにだけでなく、スーパーマーケットや飲食店、作業服の販売店まである。生活には困らない。

ボランティアセンターで受付をして、安全靴などの装備を袋につめ、作業の準備をする。前回は勝手が分からず戸惑ったが、今回はサクサク進む。7時半からの朝礼では代表より、仮設住宅に入居された被災された方々は、経済的に厳しい状況にあるとの説明を聞く。被災地での安全性についての説明は、今回だいぶ端折られていてピリピリとした緊張感は薄れてる。各作業隊の隊長の挨拶では半年前と同じ顔も見える。ご苦労さま。


今日は、特に復興支援が遅れているという、釜石市箱崎地区でのガレキ撤去を希望した。


釜石市箱崎地区は釜石市街の北の半島にある集落だ。半島全体が震災で沈下し、今なお沈下し続けている。そのため、満潮時で天気が悪いときには、集落へ続く海岸沿いの道は波をかぶり集落への道は絶たれる。そして行政による復興計画も最近まで立たず、行方不明者の捜索やガレキの撤去が遅れたそうだ。


110929小学校屋上より釜石市箱崎地区

箱崎の小学校の屋上からの海岸線。写真撮影はこの構図のみ許可されている。


更地になっているところは建物が津波によって海に流されてしまったところ。鉄筋コンクリートの建物数棟だけが残っている。この写真を撮った小学校の3階屋上も津波をかぶったということだ。写真に写されていない方向には、半壊した家並みが放置されている。6月の陸前高田のような状況だ。


箱崎地区にはまだ重機が十分入っていないため、ガレキ撤去はボランティアが主体だ。軽トラックをガレキの山に近づけるための、道路を作る作業を行った。すっかり晴れて暑い中、ボランティアのみんなは黙々と雑草を刈り、細かいガレキを土から掘り出し、道路を整地していた。


今日、私がガレキ片付けのお手伝いをしてきれいにした家や、ガレキを運ぶために作った道は、これから重機が入ればあっという間に更地にされてしまうかもしれない。結果だけ見れば、我々のやっていることはムダのように見える。しかし、隊長は訥々と語っていた。

「形だけみれば我々のやっていることはムダになるように思える、しかし、今、この時に被災した方々は自分の家を片付けて欲しいと思っている。だから、今、この時に被災した方々の思いに応え、安心して頂きたいというのが我々の思いだ。我々は行政よりも被災した方々の近くにいるのだ。」

なんてかっこいいんだ。


作業の後、住民の方々から差し入れを頂いた。地元の料理と袋いっぱいのサルナシの実だ。役立っているという実感が湧いて、ただただうれしい。


110929釜石市市内

釜石市内にも未だ生々しい津波の傷跡が残る。商店街の建物の1階部分は津波に襲われて、黒く廃屋のようになっている。傾いてしまって取り壊しを待つ建物もあちこちにある。戸口に犠牲者発見の×印が残っている建物もある。潰された自動車が空き地に置かれている。そのような状況のなか、釜石市の人々は暮らしている。

写真に写っている濛々とした白い煙。集められたガレキを焼く新日鉄の煙だ。


なんでいつまでもこんななんだろう。どうしたらいいのだろう。答えられない問いについて考えつつ、ボランティアセンターへの帰途に着く。


110929吉里吉里善兵衛 明日も頑張るぞ!と夕食をガッツリとる。ボランティアセンター近くのとんかつ屋「吉里吉里善兵衛」。980円のカツ定食にサラダバーがついている。カツもやわらかく980円とは思えぬうまさ。

次回に続く)



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