2012年05月10日

被災地はいま〜遠野まごころネットその5(0)

5/10 秋葉原〜遠野

震災のことを忘れてしまうことがある。


東京の人々は震災以前の生活をすっかり取り戻して、なにごともなかったかのようだ。

新聞やテレビで原発のニュースは毎日目にしても、被災地のニュースを見かけない日もある。便りのないのは良い便りか?復興は順調なのか?それとも、ただ忘れ去られているだけなのか?被災地はいまどうなっているのだろう?


疑問に思ったら、すぐ行動に移す。で、また遠野まごころネットでボランティアに参加してくる。ちょうど明日は11日。何の日?と思う人がいるかもしれないが、震災後しばらくは毎月11日には震災のニュースが盛んに流れていたものだ...


まごころネット1回目:災害ボランティア参加
まごころネット2回目:釜石市へ
まごころネット3回目:なぜボランティアに行くの?
まごころネット4回目:厳冬期の遠野へ

次回に続く)





このブログは引っ越しました。最新の記事はhttp://blog.geotrek.info/でどうぞ。

posted by 惰性人 at 20:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 震災復興支援

2012年05月14日

大槌町、変わったこと変わらないこと〜遠野まごころネットその5(1)

5/11 遠野〜大槌町〜遠野

前回の続き)

120511ボランティア・遠野駅前 いつものように朝6時にバスは遠野駅前に到着。駅前には新しい観光施設ができている。遠野市はお金持ちなのか?
バスを下りると寒い!風が冷たい。まるで2月の東京のようだ。かじかむ手をポケットに突っ込んで、まごころネットの拠点、浄化センターに向かう。同じ方向に歩いてゆくのは2人ばかり。だいぶ減ったな...

120511ボランティア・まごころネット朝礼 まごころネットに到着。受付の手続きをして、ラジオ体操の後、朝礼を行う。ボランティアは少ないかと思っていたが、意外と多かった。GWから滞在している人がいるためと、企業から派遣されている人が多いためだ。朝礼で自分の行き先を決める。今日は大槌町にしよう。

120511ボランティア・橋野どんぐり広場

大槌町へは新緑と山桜が美しい笛吹峠を越える。四季を通じてここに通ったが、今の季節が一番美しい。笛吹峠はかなりうねうねしていて写真が撮りにくいのが残念だ。

笛吹峠を下ったところにある「橋野どんぐり広場」で休憩。ここの産直は野菜や山菜が驚くほど安い。パックいっぱいの天然タラの芽が250円。そして、ある人は絶品、またある人は苦くて食えん、と評価が真っ二つに分かれる貴重な天然の「しどけ」が60gで160円!通販で買ったら200gで1000円くらいする。こんなものをこんなに安く食べられる地元の人がうらやましい。


120511ボランティア・変わらぬ大槌の風景

いよいよ3ヶ月ぶりに大槌町に入る。そこには、家の土台だけが残る見慣れた景色が広がる...驚くほど3ヶ月前の景色のままだ。3ヶ月前にも3ヶ月前と変わらないと思ったので、半年前からほとんど変わってないのだろう。


120511ボランティア・大槌町で側溝清掃 今日の作業は側溝の清掃。先日の豪雨で津波の泥が詰った側溝から水があふれ出し、車が通れないほど道路が水浸しになったそうだ。側溝の蓋も重たければ、泥をつめた土嚢も重い。いきなり初日から全力の力仕事だ。 しかし、雨の天気予報にもかかわらず、時々ぱらつく程度なのは不幸中の幸い。

側溝の脇の民家に住むご主人と話をした。二階建て住居の一階が津波に浸水したものの、建物全体の破壊は免れた。しかし、一階の電気系統の修理の手配ができず、二階に住んでいるとのこと。さらに家族は津波に襲われた場所には怖くて住めないので、ご主人以外はみんな仮設住宅に住んでいるとのことだった。

120511ボランティア・福幸きらり商店街 昼食に大槌北小学校の校庭に作られた仮設商店街「福幸きらり商店街」に行く。飲食店からスーパー、そしてツタヤまでいろいろな商店が並ぶ。さて、前回来たときにはどこもいっぱいで入れなかったが、今日はどこで食事をしようか。

120511ボランティア・やきとり七福のやきとり定食 前回は店が開いていなかった、やきとりの七福に入る。やきとり定食を注文する。量はちょっと少ないが、ご飯のお代わりができてワンコイン、500円。なかなかうれしい料金設定。他に唐揚げ定食などもある。

120511ボランティア・被災地の花

植えたのか勝手に生えているのか分からないが、ガレキの合間にたくさん咲いている黄色い花が目を引く。かつてはヘドロに覆われ、真っ黒だった津波に洗われた土地は今花盛りだ。


120511ボランティア・更地が増えた大槌町 バスに乗り遠野への帰途につく。車窓からの景色は以前からの変化に乏しい。しかしよく見ると、黒く焼け焦げて廃墟になっていた建物の並びが撤去され、更地が増えていた。その分、ガレキの山は大きくなっているようだった...。

120511ボランティア・月命日のまごころネットキャンドルナイト

今日は5月11日。まごころネットでは震災で犠牲になった方々のことを忘れないため、毎月の月命日にはキャンドルナイトを行う。今日はみんなでローソクを「心」の形に並べ火をつけた。

「ボランティアにやって来たあなた方は、被災地の現実の様子を体験して知っている。震災当初の雰囲気はもはや感じ取ることはできないが、それでも感じたこと、変わったこと、変わらないこと、ありのままを伝えて欲しい。」とは代表の言葉だ。


次回に続く)



このブログは引っ越しました。最新の記事はhttp://blog.geotrek.info/でどうぞ。

posted by 惰性人 at 23:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 震災復興支援

2012年05月17日

陸前高田で種まき〜遠野まごころネットその5(2)

5/12 遠野〜陸前高田〜遠野

前回の続き)

1205121ボランティア・まごころネット求人票 掲示板に張られる求人票を毎日チェックする。花壇整備や公民館の引越し、保育園の建設予定地の清掃、支援物資の仕分け、漁師さんの手伝いなど内容は多岐にわたる。そこに陸前高田でのひまわりの種蒔きがあった。すぐに求人票に名前を書き込む。陸前高田の求人はほとんどなく、もう行けないかと思っていたが千載一隅のチャンス。

1205121ボランティア・陸前高田に向かう、川の駅よこた およそ一年前、私が始めて足を踏み入れた被災地、破壊の凄まじさに衝撃をうけた陸前高田に向かう。途中、いつものように川の駅よこたで休憩。今日も手がかじかむほどの冷たい風が吹いている。しかし、花壇には色とりどりの花が咲く。

1205121ボランティア・たねっこまくべえ会いん陸前高田 下矢作の現場に到着。今日の作業は「たねっこまくべえ会」だ。福岡のNGOと地元の方々が主催、そこに地元高校生や保育園児、九州大学の学生、そして我らまごころネット5名などが参加し、総勢百余名でひまわりのたねっこを蒔く。開会式が行われ、種の蒔き方の説明を受けるが良くわからず立ち尽くす。それなのに、地元のおかあちゃんたちは分からないままに、勝手に蒔き始める。すごいバイタリティ。

1205121ボランティア・広い土地にみんなで向日葵の種をまく

広い土地にひたすら種を蒔きつづける。種を蒔きながら隣のおかあちゃんとたわいもない世間話をしたり、震災のその時の話を聞いたりする。時々突風が吹いて、みんなの帽子が一斉に飛ばされ、畑を転がってゆく...

私は最初に陸前高田に来たときにこの場所をバスの中から見ている。ここは山を間にはさんで海とは4km以上離れている。しかし、川を遡ってきた津波に襲われ、田んぼだったこの場所は、地面が見えないほど家屋の残骸や潰れた自動車に覆われていた。現在ではすっかりガレキは撤去されているが、土には塩が残り、ヘドロや海砂、ガラスの破片が混ざって、そのままでは耕作ができない。そこで土壌改良をすると同時に、地元の方々に明るい気持になってもらうために、ひまわりの種を蒔く。


120512ボランティア・ちゃんと育ちますように 被災地では花壇やひまわり、菜の花の畑など、花があちこちで植えられている。でも、実を言えばその効果に疑問を持っていた。しかし、参加された地元の方々と話をしていると、みんなきれいな花が咲くのをとても楽しみにしていることが分かった。
立派に育って、大きな花をつけますように。

120512ボランティア・菜の花畑でお昼ご飯

菜の花畑の真ん中でみんなでお昼ご飯。和やかで穏やかな春の日。ここでこうしていると、この場所が津波に襲われ、多くの方が亡くなり、自分がその復興のお手伝いに来ていることを忘れてしまう。


120512ボランティア・作業の後の交流会 午後の作業が終わり、公民館でのボランティアと地元の方々の交流会にお招き頂いた。おかあちゃんたちが腕によりをかけて作った料理をご馳走になる。うまい、しどけのおひたしもあるぞ。うまいじゃないか。
おかあちゃんたちやボランティアの九州大学の学生達と話をする。「仕事があるのに週末ボランティアに来て働くなんて、チョー尊敬でカッコいいんですけど」と言ってくれる。いや、九州からバスで25時間かけてきた君のほうがかっこいいよ。

120512ボランティア・陸前高田一本松を遠くにのぞむ

3時に途中で失礼して遠野へ帰る。遠くに奇跡の一本松をのぞむ。もう再生は期待できないらしい。残念だ。散らばっていたガレキはすっかり運び去られ、震災の傷跡は見えにくくなった。そしてかえって風景はのっぺりと空虚になった。


120512ボランティア・陸前高田のガレキ

被災地で必ず見られる風景。ガレキが片付けられてできた荒涼とした原っぱと、その集められたガレキの山。


120512ボランティア・陸前高田中心部

陸前高田市中心部方向。海のように見える水面は、地震により沈降した地に先日の豪雨の雨水がたまってできた。ここも空虚な空間が広がる。復興?いや、まだマイナス100が限りなくゼロに近づいている状態。


120511ボランティア・農村の春

車は陸前高田市を後にし、隣接する住田町に入る。のどかな農村が広がる。春の里って本当にきれいだな。


120512ボランティア・水光園で入浴 遠野に戻って、ボランティアのためのお風呂&食事ツアーに参加する。思えば毎回参加している。やっぱり仮設シャワーだけじゃなくて水光園の広いお風呂に入りたい。

120511ボランティア・伝承園での夕食 そして伝承園で郷土料理を頂く。ご飯とひっつみはお代わり可。どぶろくも地ビールもうまい。

今日は久しぶりに陸前高田を訪問できて本当によかった。地元の方々や他のボランティアといろいろ話をすることができた。

陸前高田にはいくつものNGO、ボランティア団体が入っているが、担当する地区が細分化され、それぞれの交流はほとんどないらしい。また、同じ陸前高田市内でも地区ごとに交流がなく、まるで違う自治体のようなところもあるらしい。情報を交換したり、人をまとめて作業に投入することが復興を加速すると思うが実にもったいない。しかし、これから交流の取り組みも徐々に始まるようだ。本格的な復興を控えて、その取り組みが実を結ぶことを願い、支援してゆきたい。


次回に続く)



このブログは引っ越しました。最新の記事はhttp://blog.geotrek.info/でどうぞ。

posted by 惰性人 at 00:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 震災復興支援

2012年05月20日

箱崎で漁師さんとお掃除〜遠野まごころネットその5(3)

5/13 遠野〜釜石市箱崎〜遠野〜東京

前回の続き)

120513ボランティア・浄化センターの朝

明け方には強い風が地鳴りのような音を立てていた。しかし、夜が明ければ、真っ青な空にぽっかりと白い雲が浮かぶ穏やかな天気。昨日までは曇り時々雨時々晴れ、みたいなはっきりしない天気だったが、今日はいい天気になること間違いなし。

朝礼に参加し今日も注意事項を聞く。それにしても人が少ないな...去年はまるで全校集会のようにびっちり並んで朝礼をやったのに。


120513ボランティア・よく見る味噌パン 味噌パン。例えるなら固い甘食の味噌味。私の地元にはないが、このあたりではどこでも売っている。ガレキ系のボランティアの作業は体を動かすのでお腹が空く。味噌パンは日持ちがするので、そんなときのためにいつも買って持っている。

120513ボランティア・新日鉄釜石 今日は釜石市箱崎地区で漁港の清掃。2月にはガレキを燃やす真っ白い煙を豪快にあげていた新日鉄(「復興への道は険しい」)は、今日はかなり控えめだった。

120513ボランティア・釜石市街 津波は釜石市の中心部を襲った。ほとんどの建物の一階部分が廃墟同然になり、いくつかの建物は地震の揺れと津波によって潰れた。修復不可能な建物はほとんど解体撤去され、街はくしの歯が欠けたようにスカスカになっている。

120513ボランティア・釜石市の瓦礫の山 建物を解体撤去すれば建物はなくなるが、ガレキは増える。そして仮置き場のガレキの山はどんどん高くなってゆく。ここはパチンコ屋だったそうだが、パチンコ屋は津波で流され、その跡地がガレキの仮置き場になっている。

120513ボランティア・道路に壁のように迫るガレキの山

所によりガレキの山は、壁のように道路に迫っている。


120513ボランティア・根浜地区冨玉姫神社

箱崎が近づいてきた。去年、ガレキ撤去し清掃した根浜の冨玉姫神社だ(「神社を復興の礎に」)。初詣に来てくれた人はいただろうか?


120513ボランティア・箱崎の漁港の清掃

箱崎に到着。漁師さんたちはすでに海岸の掃除を始めていた。挨拶をしていっしょに掃除を始める。東京でも豪雨となった先日の低気圧による強風、高波で大量のゴミが漁港に打ち上げられ、まるで防波堤のような山になっていた。それをひたすらスコップですくって集め、集積場に捨てに行く。3日連続腰曲げ系の作業だ...。そのうえ、今日はとても暑い。

海水の溜まった溝に詰ったゴミを手ですくい上げていたら、じんわりと手が冷たくなってきた。作業用ゴム手袋に穴が空いて、水がしみてきたのだ。ヘドロに手を突っ込んでガラスの破片をあさったり、何本も釘がとび出た角材をつかんだり、去年6月のガレキ撤去から、想定外の使い方に耐えてきた手袋もついにその役目を終えた。


120513ボランティア・箱崎地区

箱崎の市街地。箱崎は変わった。でもこの家の基礎のみ残る景色は半年間ほとんど変わっていない。何が変わったのか?それはこの写真が撮れるようになったことだ。箱崎はいろいろデリケートな問題があり、指定された場所以外の撮影は禁止だった。だから私の以前のブログにも決まった構図の写真しかない。今回は風景であれば原則自由だった。それは、被災地以外で震災の記憶の風化が進むなかで、今なお復興途上の被災地を忘れないで欲しい、伝えて欲しい、との被災した方々の思いが強いためだ。


120513ボランティア・旧箱崎小学校

旧箱崎小学校。津波は小学校の建物の屋上を越え、その後ろの住居を破壊した。また、校舎の窓もサッシごと津波に持っていかれて、ぽっかりと黒い口を空けている。しかし、そのしっかりとした建物自体は破壊を免れたので、今はボランティアの拠点としてお借りしている。


120513ボランティア・旧箱崎小学校の屋上から

小学校の屋上からのパノラマ。半年前の写真と比べて欲しい(「釜石市へ」)。壊れかけた建物が撤去された以外はほとんど何も変わっていない。


昼休みを挟んで午後も清掃の続き。先が見えてきたので漁師さんと話をする。箱崎では津波の第一波はそれほど大きくなく、堤防を越えなかったそうだ。しかし、沖に目をやって、海にいくつもの家がプカプカと浮いているのを見て、ただ事じゃないと思って慌てて逃げたそうだ。その後、泥の壁のような第二波がやってきて3階建ての旧箱崎小学校を完全に飲み込んでしまった。

震災前、箱崎地区の漁協には900名ほどの漁師さんが在籍していた。しかし、震災後、漁を再開しようとしている漁師さんは半分以下で、さらに箱崎から離れた仮設住宅に入居した漁師さんもいて、今日の清掃に参加されたのは20名ほどだった。お話をうかがった漁師さんも、年齢を考えると借金して船を買うことを躊躇せざる得ないとのことだ。今日の清掃で分かったが、漁港を維持するためにはかなりの数の漁師さんが必要だ。現状では港の清掃でさえままならない。岩手県はすべての漁港を復旧すると言っているが、そんなことできるのだろうか?


120513ボランティア・鵜住居小学校のガレキ

自分達も驚くほど港をピカピカに掃除し、漁師さんたちと記念撮影をして箱崎を離れる。途中、バスは鵜住居小学校の横を通る。釜石市は小中学生の犠牲者がほとんどなく「釜石の奇跡」と呼ばれている。特にこの鵜住居小学校と隣接する釜石東中学校は約600人が無事に全員避難した。日頃の防災教育と先生の機転のおかげだと言われている。その奇跡の小学校にも校舎を越えるほどのガレキが積み上がり、校舎には津波で刺さった自動車がそのままになっている。ガレキ処理の県外受け入れがなかなか進まず、ガレキの山は高くなる一方だ。奇跡の小学生たちはこの景色を見て、何を思うのだろう。


120513ボランティア・車中にて 遠野に戻り、さっさとシャワーを浴び、駅前のトピアで、土産にかもめの玉子と地酒、米、山菜を買い、さっさと夕食をとる。
夜10時、遠野駅前から東京行きのバスに乗る。陸前高田の酔仙酒造の雪っこをちびちびとやりながら、この3日間を振り返る。今回はたくさんの人の話を聞いたな〜。そのまま静かに眠りにつく...といきたいところだが、今日の座席は一番前の真ん中。足がのばせず眠りにくい。う〜ん、明日は仕事なのに。

(遠野まごころネットその5・完)



このブログは引っ越しました。最新の記事はhttp://blog.geotrek.info/でどうぞ。

posted by 惰性人 at 22:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 震災復興支援

2012年06月08日

震災の記憶・はまゆり復元へ

震災直後に被災地の状況を伝える報道で、2階建ての民宿の屋根に船がのっている映像を見た人も多いだろう。それが大槌町の観光船「はまゆり」だ。そのはまゆりを寄付をつのって復元する動きがある。


民宿上の船、現地復元へ 大槌町が寄付金募集 」(日経新聞 6/8)


120210遠野ボランティア・観光船が乗った民宿

保存の声がある中、はまゆりは昨年の5月に民宿の屋根から降ろされ解体された。今は、はまゆりがのっていた民宿と、はまゆりがあったことを示すプレートがあるだけだ。

今さら復元して屋根にのっけるなら、はじめからのっけたまま保存すればよかったのに、と思う。でも今、復元を強くのぞむ気持もよくわかる。


120212大槌町赤浜地区

震災から1年以上立ち、ここ大槌町でも津波や火事で破壊された建物がどんどん取り壊されている。まだ、建物の基礎が残っているが、やがてはその基礎も撤去され、震災の悲劇を伝えるものもなにもない空き地が広がるだけになるだろう。それは他の地区でも強く感じた。だからこそ、今、震災の記憶が必要なのだ。


寄付金ははまゆりの復元だけでなく、防潮施設「鎮魂の森公園」の整備にも充てるそうだ。私が、あるときは汗を流し、あるときは寒風にさらされながら、ヘドロを掻きガレキをどかしたこの場所が、美しい公園となって生まれ変わるならぜひ支援したいと思う。




このブログは引っ越しました。最新の記事はhttp://blog.geotrek.info/でどうぞ。

posted by 惰性人 at 21:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 震災復興支援
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。