2011年02月18日

昼食は名物タラバガニ〜南米・パタゴニアの旅(19)

1/6 ウスアイア滞在(マルティアル氷河、ビーグル水道クルーズ)

前回の続き)

110106フエゴ島・ウスアイアのみやげ物屋

観光案内所の前でタクシーを下りる。昼食にちょうどいい時間なので、街をぶらぶらしながらレストランを物色する。なんだ?この酔っ払いのディスプレイは。どうもみやげ物屋らしい。


110106フエゴ島・ウスアイア、レストランTia Elvira そして、レストランは海岸通沿いにある、"Tia Elvira"に決定。何を食べさせてくれるか?看板を見れば一目瞭然。

タラバガニ(Centolla)はウスアイアの名物だ。冷凍が多いそうだが、店先に生きたタラバガニの生簀を置いてある店もある。

110106フエゴ島・ウスアイアのセントージャのブルーチーズソース

これが、Centollaのゴルゴンゾーラソース。うまい!すっごいうまい!思い切って2千円もするのを注文してよかった。タラバガニのうまみとゴルゴンゾーラのコクの極めて濃厚な味わい。白のグラスワインを合わせたが、これなら赤でも十分対抗できる。


110106フエゴ島・ウスアイア、観光桟橋に面した通り

食事を終えて、ビーグル水道クルーズのチケットを買いに行く。観光桟橋の横に、屋台のようにずらりと旅行会社の窓口がならんでいる。ペンギンは見れるか、船は揺れないか、と聞いて、Tolkyenという会社の船にした。


出港まで時間があるので、海岸に沿って散歩した。海岸通はレストランやみやげ物屋、ホテルがならび、タクシー乗り場やバス乗り場がある。ウスアイアの賑やかな通りの一つだ。


110106フエゴ島・ウスアイア、南極観光案内所観光桟橋のそばにあるのは、なんと南極案内所。アルゼンチンは南極の領有権を主張しているので、当然、観光案内もやるということか?

110106フエゴ島・ウスアイア、停泊中の大型客船

世界最南端の都市ウスアイアの港は、もちろん世界最南端の大型港だ。ここには世界の海をまわる大型客船が寄港し、そしてここからは南極クルーズの客船が出向する。


110106フエゴ島・ウスアイア、観光桟橋のうえで

ビーグル水道を巡るクルーザーは3時出港予定。桟橋に入ろうとしたら制服を着たおじさんに止められた。桟橋に入るには入場料を払わないといけないらしい。桟橋にはいらないとクルーザーに乗れない。せこい商売だ。

桟橋にはビーグル水道のクルージング用の船が隙間なくぎっしり停泊していた。


参考
ビーグル水道クルーズ
観光桟橋に旅行会社窓口があり、様々なクルージングがある。
Tolkyenのクルージングは大型の双胴船で、海獣やペンギンを見てA230$
観光桟橋
入場料A7$
次回に続く)





このブログは引っ越しました。最新の記事はhttp://blog.geotrek.info/でどうぞ。

2011年02月19日

ペンギンに会いにビーグル水道へ〜南米・パタゴニアの旅(20)

1/6 ウスアイア滞在(マルティアル氷河、ビーグル水道クルーズ)

前回の続き)

110106フエゴ島・ビーグル水道クルーズ出港

ダウンを着込み、冷たい風が吹くデッキで今か今かと待っていた。そして、15:30、滑るようにクルーザーが動きだした。ビーグル水道クルーズの始まりだ。桟橋に係留してあった他のクルーザーも一斉に動き出し、競争するかのようにウスアイア湾の出口を目指して進む。

船が動き出すと、乗客は船の一番後ろに集まってきて、遠ざかるウスアイアの街並みを写真におさめていた。


110106フエゴ島・ウスアイア港のコンテナ船

ウスアイアの港には客船だけでなく、貨物船も多く停泊している。パナマ運河開通後は海運の要所の地位を失ったが、今なお交易は活発なようだ。

それにしても後の山はエライとんがってるな。登れるかな?


110106フエゴ島・ビーグル水道のオタリアの島、ロス・ロボス島が見えてきた

ウスアイア湾を出ると小さな岩礁が見えてきた。まわりになめるように船がたかっている。


110106フエゴ島・ウスアイア、ビーグル海峡ロス・ロボス島に近づく

クルーズ最初のみどころはオタリアの島、ロボス島だ。オタリアとはアシカでもアザラシでもない動物らしいが、私にはアシカに見える。とにかくそのオタリアの憩いの場所になっている島だ。何艘ものクルーザーが速度を落とし、島にギリギリまで近寄る。乗客は少しでもオタリアに近づこうと、身を乗り出すようにして写真を撮る。


110106フエゴ島・ビーグル水道、ロス・ロボス島のオタリア

ほとんどのオタリアは気持よさそうに寝ている。


110106フエゴ島・ビーグル水道、ウミウの島ロス・パハロス島

オタリアの島を後にしたクルーザーは次にウミウの島ロス・パハロス島に接近する。昆布のような海草が茂る海に囲まれた岩礁は、海鳥の糞で真っ白になっている。その岩礁にウミウがびっしり。遠目にはペンギンの大群に見える。まあ、「ペンギン」という名前がもともとはオオウミガラスという海鳥の名前だったので、海鳥がペンギンに見えてもおかしくないか。

魚はいないかと、ゆったりと波打つ海草の海に目を凝らす。でもクラゲがぷかぷかしているだけだった。


110106フエゴ島・世界最南端の村、プエルト・ウイリアムス ウスアイアは世界最南端の「都市」である。そして世界最南端の「町」は別にある。それがこのウスアイアの対岸にあるチリ領・Puerto Williamsだ。人口2000人ほどで結構大きな町だ。

風が強く波は荒くなってきた。外にいると波しぶきをかぶるので船室に入る。山ガールっぽい女の子がいた。案の定、日本人だった。1人でこんなところまで来るなんてすごいな〜。次の目的地に着くまで、旅や山の話で盛り上がる。

110106フエゴ島・ビーグル水道のペンギンの島、ゲーブル島

船内アナウンスがあり、クルーザーは速度を落とし陸地に近づく。乗客はわれ先にクルーザーの先頭に突進する。ペンギンの海岸に到着だ!自称ペンギン評論家の私も、ウスアイアにはペンギンを見に来たようなものだから、人を押しのけて船の先端に行く。そしてクルーザーは砂浜に乗り上げて停止した。


110106フエゴ島・ビーグル水道ケーブル島の浜で泳ぐペンギン達

浜にはペンギンが群れている。浜に乗り上げた船を気にする様子もなく、泳いだり走ったり、羽をパタパタさせたりしている。これはちょっとした驚きだった。今まで見た野生のペンギン達はかなり臆病で、日中、泳いでいないときには物陰に隠れ、物音がするとその場でフリーズしていた。でも、ここのペンギンは楽しくのびのび遊んでいるように見える。




ユーモラスなペンギン達を見ていると時間がたつのを忘れる。


110106フエゴ島・ビーグル水道、ケーブル島のペンギン親子

親子。親の後を灰色の子供がひょこひょこついて歩く。


110106フエゴ島・ビーグル水道、ペンギンが遠ざかる

クルーザーは再びエンジンを起動し、ゆっくりとバックを始め陸から離れる。ペンギン達がゴマ粒のように小さくなってゆく。このペンギン達がいつまでもこうやって遊んでいられる海でありますように。


行きは良い良い帰りは怖い。いや、怖くはないけど、海はますます荒れ、雨まで降りだした。来るときは時間が短く感じたが、船内に閉じ込められた帰りはいやに長い。9時近くなり、腹も減りうんざりしてきた頃やっとウスアイアの街に帰還。


110106フエゴ島・ウスアイア、レストランArcoIrisの食事 夕食はかねてから決めていたレストラン「Arco Iris」。Parrolla(南米式焼肉)の食べ放題だ。店の一角で、薪で牛や羊の1匹丸焼きを焼いている。薪のスモークの香りが香ばしい。そこで、牛の背中(ヒレ肉)を指差し、指で3cmくらいのゼスチャーをして焼きたてを切り取ってもらう。めちゃくちゃ食い応えあり。

110106フエゴ島・ウスアイアのレストランArcoIris2

二皿目はラムのアバラ肉を切り取ってもらう。おっ!大発見。Malbecと相性抜群。Malbecはアルゼンチンを代表するブドウだが、このワインは今までに飲んだことのないくらい、重厚で力強く、どんな料理に合わせていいか分からなかった。でもうまみは強いものの、ちょっとしつこいくらいの油がある、ラムのばら肉にぴったりだった。ここで腹いっぱいだが、せっかくなので、デザートも二皿食べる。


肉のほかにもサラダやシーフード、中華などのおかずも食べ放題。アルゼンチンでは下手すると牛肉とジャガイモしか食べられないので、サラダがうまい。これでA42$ととてもお得。


110106フエゴ島・ウスアイアの家電屋 1人でワイン1本分空け、いい気分で宿にもどる。途中「WINNER」というカメラ屋があった。そこにはPanasonic、SONY、Nikonの文字が。日本企業はこんなところでも物を売っている。法人税下げろとか、リストラするとか言っている会社!文句を言う前に世界の果てまで行って商売をしろ!...と、ここにもSAMSUNGが進出してきている。恐るべし。

次回に続く)



このブログは引っ越しました。最新の記事はhttp://blog.geotrek.info/でどうぞ。

2011年02月22日

さようなら、最果ての街〜南米・パタゴニアの旅(21)

1/7 ウスアイア〜ブエノス・アイレス

前回の続き)

110107フエゴ島・ウスアイア空港

雨。ウスアイアを後にする日、街を囲む山々は厚い雲に覆われ頂が見えない。宿でタクシーを呼んでもらって直接ウスアイア空港に向かう。

空港の建物はウスアイアらしく大きな柱や梁に木を使っている。ぬくもりが感じられる建物だ。そして、中に入ると行列。チェックインカウンターの前になが〜い行列が続いている。係員はそれなりにちゃんと働いているようだ。しかし、まぬけなことを言う乗客が多いらしく、ひとりひとりに時間がかかっていて、なかなか列が縮まらない。2時間前に空港に着いたのに、搭乗ロビーに入ったのは30分前だった。


110107フエゴ島・ビーグル水道上空からウスアイアの街

20分遅れて離陸した飛行機はいったん、南に飛び、ビーグル水道上空で大きく旋回して、北上、一路ブエノスアイレスを目指す。飛行機が旋回したときにウスアイアとフエゴ島の山々を見渡すことができた。またここの街に来ることはあるだろうか?いや、来れるだろうか?


さようなら、世界最果ての街。


ブエノスアイレスからあちこち寄りながら、バスで9日間かけてここまでやってきた。そして、その道程を3時間半でブエノスアイレスに戻る。旅の終わりは近い。


110107ブエノスアイレス・アエロパルケ国内線空港に下りる ブエノスアイレスAeroparque空港。飛行機を下りる。暑っ!気温が34℃もある!今日の朝は10℃もなかったのに。アルゼンチンは広い。

空港からのバスは1時間に1本しかなく、ちょうど出た後だった。路線バスは市内まで1時間以上かかると言うので、タクシーに乗る。恐ろしいほどメーターがどんどん上がる。ボッタクリタクシーか!?フロリダ通りまでA100$以上かかった...

110107ブエノスアイレス・フロリダ通り

アルゼンチンに入国した日に泊まったフロリダ通り近くのホテルにまたチェックインし、荷物を置いてぶらぶらと散歩にでる。入国した日と同じように、フロリダ通りは相変らず多くの人で賑わっている。まさかそのときは、熱を出して寝込むなんて夢にも思わなかった...


110107ブエノスアイレス・フロリダ通りの路上タンゴ

路上タンゴをやっている。ボンテージの衣装に身をつつんだ怪しいお姉さんが、帽子をもっておひねりを集めている。A5$札を入れると、「お釣は出さないよ」と言われた。だいぶスペイン語が聞き取れるようになってきた。今さら。


110107ブエノスアイレス・パティオ・デ・コミダの一番安いパン 午後6時ごろ、小腹が空いたが夕食にはまだ早い(アルゼンチンの夕食は8時以降)。フロリダ通りに面したショッピングモールの地下にあるフードコート、Patio de Comidaに行く。ここにはフルコースが食べられそうなくらい、いろいろな店がある。が、全体的に高く、一番安い食事(お菓子ではなく)を探したら、これになった。白身魚の巨大なフライが挟んであるパン。う〜ん、脂っこくてくどい。
結局、完食したら胸焼けがひどく、食欲がなくなって、これが本日のディナーになってしまった。

参考
ウスアイアの宿:La Casa de Ushuaia
こじんまりしたB&B。 オーナーはよく気が付いて親切な女性。Hostel Worldから予約したにもかかわらず、すぐに直接メールをくれた。部屋数が少ないのでだいたいいつも満室らしい。
ホームページ:http://www.silviacasalaga.com.ar
ウスアイア〜ブエノスアイレスの空路
アルゼンチン航空の直行便を利用、約3時間半。他に経由便が多数ある。
アルゼンチン航空のホームページはhttp://www.aerolineas.com.ar/home.aspだが、ここは日本からは予約はできるが支払いができない。
予約、支払いともに日本の販売支店に電話をして問い合わせるのがよいと思う。
日本の支店は、上記HPから"United States english"->"The Company"->"Sales Offices"->"IN THE WORLD"->"JAPON"とたどると表示される。ただし、私が電話したときには移転していて、別の電話番号にかけるようにアナウンスが流れていた。
Jorge Newbery空港からブエノスアイレス市内
リムジンバスは1時間おき。地球の歩き方2010にはA15$とあるが、A50$と表記されていた。
タクシーはたくさん客待ちしている。市内までA100$以上かかったが、ボッタクリではないか...
Palermoまで1kmほど歩いて、そこから地下鉄がいいかもしれない。

次回に続く)



このブログは引っ越しました。最新の記事はhttp://blog.geotrek.info/でどうぞ。

2011年02月25日

エビータの墓参り、レコレータ墓地〜南米・パタゴニアの旅(22)

1/8 ブエノスアイレス(レコレータ墓地)〜ウルグアイ、コロニア・デル・サクラメント〜ブエノスアイレス

前回の続き)

日程の不確実な旅では、帰国のために出国する街で、1日滞在することにしている。1日どこかで遅れても帰国できるようにだ。ここまで日程だけは順調にこなしたので、この1日が余った。

今回の旅はバスの移動が長く、暇だったので地球の歩き方をボロボロになるまで読んだ。うかつにもそれで初めて気付いたが、ブエノスアイレスから隣国、ウルグアイがとても近い。そこで、今日はウルグアイに日帰り旅行に行く。


110108ferryport.jpg 朝一番のフェリーに乗るため、7時前にホテルを出てフェリー乗り場に向かう。雨の中歩いて10分くらいだった。切符売り場で英語で話しかけるも無言で首を横に振られる。スペイン語で話しかけたら、チェックインカウンターに行けと言われる。カウンターで予約してから切符を買うシステムになっている。
肝心の切符は朝いちは売り切れで、行きは12時出港、帰りは23時半出港となった。どちらも厳しい時間だ...

110108ブエノスアイレス・アルベアール通り

出港までの時間をエビータの墓参りで潰すことにする。エビータの墓のあるレコレータ墓地(Cementerios Recoleta)はここから歩いて行けるはずだ。交通量の多い騒々しい表通りをしばらく行くが、ちょっと裏通りに入ってみる。そこは並木の美しい落ち着いた通りだった。


110108ブエノスアイレス・聖母ピラール聖堂

20分ほど歩くと広場にぶつかり、道が分からなくなる。が、白い特徴的な建物発見!聖母ピラール聖堂(Basilica Menor de Nuestra Senora de Pilar)だ。1732年に完成した建物だが、真っ白できれいだ。まさにNuestra Senora(聖母)の名にふさわしい。


110108ブエノスアイレス・レコレータ墓地入り口

聖母ピラール聖堂のすぐ左にレコレータ墓地の入り口がある。1882年に開設されたこの墓地には、歴代大統領や、軍人、芸術家といったブエノスアイレスの最上流階級の人々が眠っている。


入り口から中をのぞくと...たくさんの彫像が見え、博物館か美術館のようだ。

門をくぐってすぐのところに墓地の見取り図がある。縦横150mの墓地には碁盤のように縦横に通路があり、その両側に墓が建ち並ぶ。エビータの墓の大体の位置を記憶して歩き出す。


110108ブエノスアイレス・レコレータ墓地の猫

猫がうじゃうじゃいる。どこでもそうなのかも知れないが、お年寄りが餌付けしているようだ。それにしてもこいつは何をみているのだろうか。


110108ブエノスアイレス・レコレータ墓地エビータの墓

同じような墓が並び、通路もどれも同じに見えてきて、エビータの墓がどこだか分からなくなった。しかたなく、通路を一本一本しらみつぶしに歩いて探す。

あった!見つかれば分かりやすい。なぜなら、この墓だけ新しい花がたくさん手向けられているからだ。


エビータ(1919-1952)はファン・ペロン大統領夫人、エバ・ペロンの愛称。貧しい私生児から大統領夫人になったシンデレラ的女性で、労働者の生活改善や参政権の拡大などに力をいれ、 多くの国民から慕われていた。一方で、大統領夫人というだけの立場で政治的な力をふるい、半強制的な寄付金の徴収行い、その寄付金の横領の疑惑など批判の多い女性でもある。


110108ブエノスアイレス・レコレータ墓地草の生えた墓

いつまでも花の絶えることのない墓もあれば、省みられず草が生えるにまかされている墓もある。


110108ブエノスアイレス・レコレータ墓地

う〜ん、一つ一つの墓には趣深いものがあるのだが、こうして見ると、ただ見えを張り合って目立つもの、奇抜なものを並べているだけのようにも見える。


110108ブエノスアイレス・サンマルティン広場マルビナス紛争記念碑

レコレータ墓地でだいぶ長居をしてしまったので、早足に港に戻る。途中、サンマルティン広場で、アルゼンチンの国旗をはさんで衛兵が立っているのを見つけた。マルビナス戦争記念碑だった。マルビナス戦争とは我々の言うフォークランド紛争のことだ。アルゼンチンは今でもフォークランド諸島の領有を主張している。それはそうと、いつかフォークランド諸島も行ってみたいものだ。3種類のペンギンの営巣地がある。


110108ブエノスアイレス・フェリー乗り場ロビー 空港のようなカウンターでチェックインし、空港のようなロビーでフェリーを待つ。さすが国際フェリー乗り場だ。切符売り場で英語が通じないけど。
イミグレには2人の女性が座っていて、手前の女性にパスポートを渡すと、アルゼンチンの出国スタンプを押して、奥の女性に手渡す。するとその女性はウルグアイの入国スタンプを押して私に返してくれる。これで完了。合理的だ。

ここでアクシデント。フェリーから下りてきたおばあさんが崩れるように突然倒れた。すると大勢の乗客が駆けつけて、おばあさんを抱き起こしたり、荷物を持ってあげたりしていた。アルゼンチンは経済危機で人々に余裕がなくなったというが、果たして東京でもこうやってみんなで助けてくれるだろうか。


110108ブエノスアイレス・コロニアル・デ・サクラメント行きフェリー むぎゅむぎゅと人混みに押し込まれるようにフェリーに乗船。広い船内はほぼ満席。バーもあって優雅なクルーズ気分だ。やがてエンジンが唸りをあげて船が動き出した。
ウルグアイに向けて出発進行!

次回に続く)



このブログは引っ越しました。最新の記事はhttp://blog.geotrek.info/でどうぞ。

2011年02月26日

ウルグアイ入国、世界遺産コロニア・デル・サクラメント〜南米・パタゴニアの旅(23)

1/8 ブエノスアイレス(レコレータ墓地)〜ウルグアイ、コロニア・デル・サクラメント〜ブエノスアイレス

前回の続き)

110108コロニア・デル・サクラメント、マヌエル通り

高速フェリーで1時間、ウルグアイのコロニア・デル・サクラメント(Colonia del Sacramento)に到着。ロビーの観光案内所で街の地図をもらい、両替所でアルゼンチンペソをウルグアイペソに変える。ついでに切符売り場で帰りのフェリーをもっと早い時間に変えてもらおうと思ったが、日帰りの往復切符の変更はできないとのことだった(ここも英語通じず)。


フェリー乗り場から外に出ると、そこはブエノスアイレスとは全く違うゆったりとした時間が流れていた。夏の強い日差しをさえぎる、青々と茂る並木、そして石畳の道路。交通量も少なくひっそりとしている。なぜかタイの田舎町を思い出してしまった。


110108コロニア・デル・サクラメント、世界遺産旧市街の城門

港から歩いて十分くらいで旧市街の入り口の城門にやって来た。この街並みが世界遺産「コロニア・デル・サクラメント」だ。1680年にポルトガルが街を建設して以来、ポルトガル領になったりスペイン領になったりして、古いポルトガル様式の建物と、スペイン様式の建物が混在している。城門の左手に例の世界遺産プレートがある。


110108コロニア・デル・サクラメント、昼食にチビトス

真っ先にすることは食事。いつの間にか2時をまわっている。世界遺産の街並みの中にあるオープンカフェ。なかなか味があるね。ここでウルグアイ式ステーキバーガーを食べる。卵やチーズ、レタスにステーキがパンにはさんである。これで180U$。ちょっと高い...


110108コロニア・デル・サクラメント、灯台

街に入って一番に目についた灯台に行く。1857年に建てられたとあるが、本当かな?やけに白くてきれいだぞ。手前の石垣にはくぼみ(銃を撃つ穴?)がいくつもあって、そこにツバメやハトが巣を作っていた。


110108コロニア・デル・サクラメント、灯台の上からラプラタ川、ブエノスアイレスのビルが見える

入り口で25U$払って狭い螺旋階段を上る。最上段まで上がると目の前に360度の景色が広がる。北は緑濃きコロニアの街並みを見下ろし、南には海、じゃなかった、海と見まがうばかりに雄大なラプラタ川が広がり、その向こうには小さくポチポチとブエノスアイレスのビルが見える。朝は雨が降っていたのに、とてもいい天気。よかった、よかった。暑いけど。


110108コロニア・デル・サクラメント、灯台の上は狭い ランプのある最上階はすごく狭い。ランプをぐるりと囲む通路は人ひとり通るのがやっと。そこでアメリカ人らしき大学生の集団がわいわい騒いでいる。それを見ていたイギリス人らしい人が「これだからアメリカ人はf○○kなんだ」などとのたまっていた。イギリス人もアメリカ人を良く思っていないのね。

110108コロニア・デル・サクラメント、この人は何?

あてもなく街をぶらぶらする。石畳の道に石造りの建物がならぶ。観光客はそれなりにいるが、でも静かでのんびりしている。のんびりに不似合いなこの人はなんでしょう?


110108コロニア・デル・サクラメント、石楠花が咲いている

街は花盛り。街路には石楠花が植えられている。私の石楠花のイメージは奥秩父や新潟の山で行く手を阻むこい〜藪なのだが、ここの石楠花はリゾートの花になっている。


110108コロニア・デル・サクラメント、マヨール広場に面した道

世界遺産、コロニアル・デル・サクラメント。確かに街はおしゃれで美しい。でも、なんて小さな世界遺産だ。2時間ほどでほぼ歩きつくした。フェリーは11時半、今は4時半。どうしたらいいんだ。しかたがないので、マヨール広場に面したカフェでコーラを一本頼み、本を読みながら1時間粘った。そのあとはマヨール広場の石垣の上で空を見ながらゴロゴロして時間をつぶした。


110108コロニア・デル・サクラメント、紫陽花

街路には紫陽花も多い。真夏の紫陽花。


110108コロニア・デル・サクラメント、ヨットハーバー

広場でゴロゴロするにも限度があるので、とにかく街の端まで行ってみる。ヨットハーバーにでた。泳いでいる人もいて、この強い日差しの下で気持良さそうだ。釣りをしている人もいる。でも私はすることがない。


110108コロニア・デル・サクラメント、夕暮れ

教会の横のベンチで本を読んでいた。芝生に寝転んでいたおじさんがムックリと起き上がって、私の隣に座っているご婦人に"Senora, que hora es?"とたずねる。ご婦人はぶっきらぼうに"Ocho"と答える。Ocho? 8時だと?私の時計は7時だぞ...ブエノスアイレスと1時間の時差があるのをすっかり忘れていた。危ない。

本を閉じ、日差しが傾いた街でレストランを探す。


110108コロニア・デル・サクラメント、舌平目のムニエル 夕食はイタリアンレストラン、"Casade Grande"。本日のお薦め舌平目のソテーを頂く。普通にうまい。でもグラスワインがちょっと高い。あわせて日本円にして千円ちょっと。ウルグアイペソが足りない。カードは500U$以上じゃないと使えない(これをスペイン語言われて理解するのに手間取った...)。しかたがないので割高になるが、アルゼンチンペソで払った。

110108コロニア・デル・サクラメント、夕焼け

食事も済ませ、最後に城門から夕焼けを眺めて街を後にする。は〜っ、やっと1日が終わる。


無事に23時半出港のフェリーに乗り、23時半にブエノスアイレスに帰着。


110108ブエノスアイレス、深夜の通り

深夜にもかかわらず人通りがあったので、港からフロリダ通りまで歩いて戻った。喉も渇いたしお腹もちょっと減ったので、カフェでビールを飲みながらナッツとポテトをつまみ、1人で旅の終わりに乾杯した。いい気分でホテルに向かう途中、黒山の人だかり発見。そしてそこにはいけてるお姉さん達が。なんだ?どうもテレビのロケらしい。


参考
コロニア・デル・サクラメントへのフェリー
高速と通常の2種類ある。高速は所要時間1時間で往復314U$だった。ただし、曜日によって値段が変わる。
ウルグアイペソ・U$
コロニアのフェリー乗り場で150A$を650U$くらいで両替した。旧市街ではアルゼンチンペソも使えるが、レートはフェリー乗り場の両替所より悪いように思う。

次回に続く)



このブログは引っ越しました。最新の記事はhttp://blog.geotrek.info/でどうぞ。

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。